自分では価値が無いと思っていた物が、実はすごい価値だったなんて事はよくある話で、
例えば昔履いていたレッドウイングのブーツ。
幾らで買ったのかも忘れてしまったこのブーツは、いつの間にか我が家の玄関の傘立てにされてしまっていた。
所がこのブーツをオークションに出したらビックリ。
何と2万円で売れた。
マジか…
俺は慌ててブーツに刺さっていた傘共を「オラァ、どけ!お前ら」と引っこ抜き、布で丁寧に磨いた。
落札者への返答には、「大事に保管していますのでご安心ください」なんて答えてしまい、心が若干痛んだ。
そして磨き終わって改めてそのブーツを見ると、なんか結構いいブーツだなぁなんて思い直したりして。
つまり何が言いたいかって言うと、
価値っていうのは一体誰が決めてんの?
ってこと。
オークションのすごい所っていうのは、自分にはもう不要としか思えないような物に対して、自分以上の価値を見出してくれる人に出逢える所。
例えば、人は高かった服だからいつもその服を着るわけじゃない。
着心地だったり、色だったり、何となくだったり、何かしら自分にとって相応しいと思うからこそ、その服をヘビロテで着るわけで。
だからむしろ、買う時に高かった服ほど、普段クローゼットの中の奥深くで眠ってる、なんて事の方が多い。
そして多分、1年の内でで一番自分がよく着る服について、「その理由を言ってみろ」と言われたって、それにきちんと理論整然と答えられる人なんて殆どいないんじゃないかな。
なぜって、人は理屈じゃなくて、「気持ち」で生きてるから。
冒頭で話した、レッドウイングのブーツは、自分の中では価値はゼロだった。
でも、思い返せばあのブーツは購入した時は確か5万位した筈。
価値が無いわけがないんだよね。
自分の勝手な判断で、そのブーツの価値をゼロにしてしまっていただけなんだよね。
物の価値って何だろう、そんな事を改めて考えてしまった。
これを人間に置き換えてみた。
自分の価値は誰が決めてるんだろう?と。
「どうせ自分なんて…」なんて思って、自分で勝手に決めて諦めてやしてないだろうかと。
単にあのレッドウイングのブーツのように、ちゃんと価値を見出してくれる人に出逢えてないだけなんじゃないのか、なんて。
そういう風に考えると、もっと価値について考えていかないと、そんな風に思ってしまう。
もしかしたら、あなたもそうじゃないですか?