「君はまったくひどい運転をするんだな」
と僕は苦情を言った。
「もっと注意深くなるか、あるいは運転をまったくやめちゃうか、どっちかにしたほうがいい」
「注意してるったら」
「いや、ぜんぜんしてないね」
「だって、ほかの人が注意してくれるもの」
と彼女はしらっと言った。
「それ、どういう意味かな?」
「みんな、私の行く手からうまくさっとどいてくれるわけ」
「じゃあもし君が、君と同じくらい不注意な人間にでくわしたとしたら、そのときはどうなるんだろう?」
「私としちゃ、そういうことが起こらないことを願うのみね」
(グレート・ギャッツビー フィッツジェラルド著 村上春樹訳 より)
世間じゃ歩きスマホが随分と叩かれているみたいだ。
個人的にはネットなんかで皆が言うほど迷惑かな?と思ってる。
だって、都会には迷惑な人だらけだものね。都会の人間が、と言うよりも、単純に人口比率的な確率の問題で。
そりゃあ、田舎にも変なのはいるし、迷惑な人間もいる。
でも、もし出会う人の20人に1人が迷惑で、しかも嫌な奴と決まってるものだとしたら、やっぱり都会の方がそういう人物に遭遇する確率は高いんだろうなと思う。単に確率の問題だけれど。
冒頭で引用した会話は、有名な小説「グレート・ギャッツビー」の中での、ジョーダン・ベイカーと主人公との会話の一幕。
多分だけど、歩きスマホをしている多くの人の感覚って、ミス・ジョーダン・ベイカーと同じなんじゃないかなと思う。
それにここまで屈託なく正直に言われてしまうと、何だか笑ってしまう。
歩きスマホ、したことある?
ある調査によると、道行く人へのアンケートで、「歩きスマホは迷惑か?」という質問に対して「迷惑」と答えた人の割合は凡そ90パーセントにもなるらしい。
けれど一方で、「歩きスマホをしたことがあるか?」という質問に「はい」と答えた人の割合も70パーセントを超えていた。
別にこれは意外なことでも何でもなくて、例えば、
1.あなたは路上駐車を迷惑だと思いますか?
2.あなたは路上駐車をしたことがありますか?
という二つの質問を街頭でしても、きっと同じような数字になるんじゃないかな。
そう、きっと日頃から車を運転する多くの人の答えは、両方Yesだろう。
じゃあ結論は、「人間は所詮は身勝手な生き物」?
多分そうじゃない。殆どの人の意見は、
「自分はあんな酷い歩きスマホはしない」なんじゃないかな。
こんな歩きスマホは嫌だ
じゃあ、どんな歩きスマホが嫌なんだろう?
自分はこんな歩きスマホは絶対しないっていう、そんなモデルは?
思いつく限り書いてみる。
・ものすごい人ごみの中なのに歩きスマホをしている
・スマホをしながら歩いていて、急に立ち止まる
・スマホをしながら歩いていて、しかもイヤホンまでしている
・歩きスマホをしているのに、端の方を歩こうとしない
・歩きスマホをしてぶつかっても謝らない
・歩きスマホをしているんだか止まってんだか分からないくらいに低速歩行
・歩きスマホをしているのに、やたら高速歩行
特に最後の、「歩きスマホをしているのに、なぜか異様に歩く速度が速い」
これは個人的にちょっと厄介。
だいたい歩きスマホをしている人はダラダラ歩いてるので、「危ないなあ」と思いつつも追い越したり脇に寄ったりして簡単にやり過ごせる。
しかし歩きスマホをしながら高速歩行。これはちょっとマズい。
特にパリッとしたスーツ姿のビジネスマンにこの手の輩が多い。
対策
やれ、「迷惑だ」だの、「イライラする」とか言ってても余計ストレスが溜まるだけ。
歩きスマホが迷惑ならば対策するのが一番手っ取り早い。
対策1 歩行速度を下げる
これは巨大ターミナル駅など、全方向から人が入り乱れる場所では効果抜群の対策法。
とにかく歩く速度を普段より少し下げるだけで、歩きスマホ野郎を始めとする殆どの邪魔な歩行者があまり気にならなくなる。
とは言え、日頃の歩く速度のクセはなかなか抜けないもの。
ちょっとでも早く帰りたい気持ちをグッと堪えて、人ごみでは敢えて意識してギアを1段階下げると頭の中でルールを決めて見よう。
対策2 キョロキョロして歩く
「あれ?もしかしてこの街初めて?」と向こうが思う位にキョロキョロして歩く。
そうすると向こうも嫌が応でもその姿が視界に入るため、無意識にこちらを避ける。結果、自然と歩行スペースができる。対策1と組み合わせると更に効果的。
さらにキョロキョロすることにより、視界も広がりスペースを見つけやすくなるというメリットも。
サッカーの試合なんかもよく、優秀な司令塔ほど試合中キョロキョロしてスペースを探してるよね。あれと一緒。
対策3 自分と同じ歩行速度で、かつ同じ方向に向かって歩いている人を見つけるいわゆるスリップストリーム走法。
上手いことターゲットが見つけられたら後はその人の後ろにピッタリ付いて歩くだけ。これだけで歩きスマホ族に遭遇する確率も大幅減。
因みにこの方法は高速道路を走る時も非常に有効。
例えば100キロで走行すると決めたら、同じように100キロ程度の速度で走っている車を探す。出来ればトラックがいい。トラックはあまり後方に付かれる事を気にしないからね。
そしてその後ろを延々と走る。これだけで高速道路の走行時の疲れが相当軽減される。
「あー、こいつも遅せー」なんて言いながら追い越し車線→走行車線を繰り返して走り続けるストレスに比べたらその差は歴然だ。
きっと相手も期待してる
駅のものすごい人ごみの中で平気で歩きスマホをしている人の感覚って、多分、ミス・ベイカーと同じ考えでいると思う。
きっと向こうが歩きスマホしている自分に気付いて避けてくれる。きっとこんな無防備な自分に悪さをしてくる人なんていない
人の善意にすがる生き方。それはそれでこの国がまだまだ平和で思いやりのある国なんだって事なんだと思う。それはある意味羨ましいこと。
自分なんかは駅の人ごみの中を普通に歩いてるだけでいきなり腕掴まれたり、殴られそうになったりした事があるせいで、とても人ごみで周囲を見ないで歩くなんて怖くて出来ないものね。
そう、自分にはとても無理。
裏を返せば、人の善意に期待する程、今まで人に優しく生きてきてなかったって事なのかも知れない。
最後に
冒頭のミス・ベイカーと主人公のやり取りの後、ミス・ベイカーが主人公に言った言葉を綴って、今日のブログのまとめとしたい。
「不注意な人たちっていけ好かない。あなたのことが好きなのは、だからよね」
(グレート・ギャッツビー フィッツジェラルド著 村上春樹訳 より)
追伸
グレート・ギャッツビーは村上春樹翻訳のものが一番好きだ。
正直、村上春樹の最近の作品はそれほど好きじゃない。
でも、この村上春樹訳のグレート・ギャッツビーを読むと、なぜ村上春樹があれだけ多くの人に支持されているのかが分かって、ちょっと複雑な気持ちになってしまう。
不器用?みんなそうかも。