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「おい、田丸!」

「はい!」

「来年お前らが二年になったときはもう、こんなセッキョーなんてやめろよ! こんなことしてたら柔道部はつぶれてしまうぞ」

「・・・・・・おことわり・・・します!」

 

漫画「柔道部物語」(小林まこと著 講談社)5巻より

 

 

この漫画の舞台である岬商業高校柔道部には、セッキョーと呼ばれる伝統がある。

セッキョーとは、要するにシゴキ、イジメのようなもの。

新入りである一年生部員は、先輩である二年生部員によってイジメにも等しい徹底的なシゴキを受ける。

そのせいでその年せっかく33人も集まった新入部員が次々と辞めていき、残ったのは田丸を始めとする5人だけ。

こんな事が続けば柔道部の存続も危うくなると危機感を感じた二年生の秋山が、セッキョーに耐えて生き残った田丸に掛けた言葉と、それに対する田丸の返答が冒頭のアレ。

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因みにこの漫画が連載されたのは1985年と、今からもう30年近く前。

何とも時代にそぐわない古臭い伝統だなあと思いきや、意外な程に今の時代でも同じような事をやってる学校はまだまだ多いみたい。

実際、高校野球の名門、大阪桐蔭や、ちょっと前だとPL学園も普通の学校ではあり得ないような部員同士の上下関係制度が敷かれていて問題になったりした。

この二校がやっていた事を見ると本当に反吐が出るくらいに酷いし、こういう世界観は個人的には全く受け付けない。

ただ、気になることが一つ。

実際こういうのを「問題だ」と言っているのは、こうしたシゴキに耐えきれずに逃げ出した人達や外部の人間が大半で、冒頭で挙げた田丸のようにシゴキに耐えて生き残った当の部員達はそういう不満は言わないケースが多い。寧ろ逆の事を言う。

なぜだろう?

「影響力の武器」の著者であるロバート・チャルディーニは、そのことについて研究した若い心理学者の言葉を借りてこう言う。

 

 

「何かを得るために大変な困難や苦痛を経験した人は、苦労なく得た人よりも、得たものの価値を高く見積もるようになる」

「影響力の武器」第3章 コミットメントと一貫性 -心に住む小鬼 より

 

 

それは一種の宗教、いや、人間の本来持つ習性のようなものなのかも知れない。

ただ一つだけ言えるのは、こういう厳しい上下関係やシゴキのような問題を語る時、その世界のことを大して深く知らずに外側から見ているだけの人達の意見と、実際にその世界の中で生きている人の意見とじゃ、根本からして異なって当然なんだろうなと。

要するに、外から冷静に見たらバカとしか思えないような行為でも、そのコミュニティに順応して生きている人にとってはそれが当然であり当たり前で、寧ろそれが自分に誇りと強さを与えてくれたと信じている。
そして、そんな厳しい上下関係やシゴキのお陰でチームワークはより強固なものになって、より強いチームになると信じて決して疑わない。

きっと海外の軍隊や自衛隊なんかでもこういう事は沢山あるんだろうね。

そして、その世界で長く生きていている人間であればあるほど、「自分はシゴキには反対だ」なんて誰も絶対言わないだろうな。そう思う。

厳しいシゴキに耐えて生き残った人間達だからこそ共有できる絆があり、途中で逃げ出した人間やその世界を知らない人間には決して見えない世界がある。

 

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1992年に公開され全米で大ヒットした映画「ア・ヒュー・グッドメン」の中でも同様のシーンがある。

アメリカ海軍キューバ基地で”コードR”という海軍独自の暴力制裁ルールによって命を落とした一人の海兵隊員を巡る裁判ドラマだ。

トム・クルーズが演じる弁護士、キャフィ中尉は”コードR”を指示し海兵を殺害させたのは基地総司令官であるジェセップ大佐(ジャック・ニコルソン)であると確信し、彼の調査を始める。

しかしその中でキャフィ中尉は、海軍の中で最重要視されるのはアメリカの法律ではなく、海軍独自の”鉄の規律”である事を知る。

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「お前らのような平和にのうのうと暮らすだけの人間に何が分かる? 我々は毎日命の危険に晒されながらこの国を守ってる。そして命がけで国を守る人間を統率するには規律が必要だ。お前らはそんな我々に頭を下げて『ありがとう』とだけ言っていればいいんだ。それが嫌なら銃を持って我々の代わりにこの国を守って見せろ。お前らの権利など知った事か!」

 

物語の終盤、裁判でキャフィ中尉に挑発され、とうとう本音を口にしてしまったジェセップ大佐のこの言葉はこの映画の最大の見せ場。

 

You can’t handle the truth!(お前に真実など分からん)

 

―ジェセップ大佐(「ア・ヒュー・グッドメン」より)

 

人が集まる所にはコミュニティがあって、そしてそこには何人にも侵すことのできない”独自のルール”が存在する。

きっと外側からは何も見えない、その中にいる人達だけが共有できる価値観が。

 

これを家族の例に例えると、親が冷静にどれだけ立派な事を子供に言っても、多くの場合その言葉は子供には届かない。

それは、親はいつも子供が現在抱えてる学校での環境やコミュニティを何も知らないで、何一つ分かろうとしないで、”ただ一方的に正しい意見を言う”から。

だから、いつの時代も親が子供のために”良かれ”と思ってしてあげる事は残念ながら全て裏目。
そこに歳の差などは何の関係も無い。ただ、大人は絶対に立ち入れない、子供の世代にしか共有できない、何人たりとも侵すことのできない、”絶対的な世界”が子供にはあるという事。

それを理解できない内は、残念ながら親の声は何一つ子供には届かない。

正しいか間違ってるかは大した問題じゃない。

ちょっと理不尽だけど、でも人間ってそういうものだよね。きっと。

 

 

 

因みに今回紹介した「柔道部物語」では、そんな厳しい上下関係やあり得ないようなシゴキの中で生まれた友情を、爽やかに鮮やかに描いている昭和の時代の名作中の名作柔道漫画。
愛すべきバカ達の、感動の物語。