今からほんの20年程前の話。
当時電化製品を買うと、製品と一緒にぶ厚いマニュアルが必ず同梱されていた。
それは何もパソコンのような複雑な操作が必要なものに限らず、テレビやビデオデッキ、電子レンジに掃除機、エアコン等、ごく一般的な家庭用電化製品でも同じだった。
嘘だと思うのなら、押入れに眠ってる1990年から2000年頃に買った電化製品のマニュアルを取り出してチェックしてみるといい。
そのマニュアルの厚さが今とは比較にならないことが分かるだろう。
対照的に現代のマニュアルは実にチープで、薄っぺらい。10万以上出して買った高級な電化製品ですら、付いてくるマニュアルはパンフレットと見紛うばかりにペラペラ。
しかも、製品の取り扱いについてもっと詳しい事が知りたい場合は、マニュアルじゃなくてWeb上で確認しろという注意書きすら書かれている始末。
どうしてこうなった?
エコが叫ばれるこの時代、経費削減のためにマニュアルもどんどん薄くなった?
それも確かにある。
だが、根本的な理由はそうじゃない。
昔に比べてマニュアルの厚さがこうも変わった理由、それは、
消費者はどうせマニュアルなんか読みやしない
その事実にメーカーが気付いたからだろう。
マニュアル作り手と読み手の間の”ギャップ”
家電メーカーに限らず、昔の日本企業は真面目だった。
どっかのCMじゃないが、バカが付く程に真面目だった。
自分達が世に送り出す電化製品には、立派なマニュアルを付けてやらないといけない。メーカーもそんな気持ちで溢れていた。
そして何より、マニュアルはその製品を使用する消費者のために必要不可欠なんだと信じて疑わなかった。
彼ら商品開発者達は必死にマニュアルを作成した。
製品の持つ機能を残さず網羅できるような、完璧なマニュアルを。
だが悲しいかな。出来上がったそのマニュアルにはたった一つ、大きな欠点があった。
それは、
絶望的に分かり辛い
ということ。
そう、電化製品のマニュアルなんてものは所詮どう頑張って作ろうが消費者にとっては分かり辛く、しかも分厚く、誰もが読み始めて途中で投げ出すか、もしくは最初から読まずに押入れの中にしまい込まれる、一般家庭では電話帳以下の代物でしかなかったのだ。
だが、もっと問題なのは、
開発者たちは、自分達が作ったそのマニュアルが消費者にとって難しく、しかも分かり辛いと思われているなんて夢にも思っていないということだ。
だから、消費者から「マニュアルが分かりにくい」というクレームを貰っても、商品開発者達にはどこをどう直せばいいのかが全く分からない。
なぜなら、
彼らはその製品について誰よりも精通し理解しているプロフェッショナルな人達だから。
”分からない人達の気持ち”などハナッから”分かるわけがない”のだ。
彼らからしてみれば、自分達が書きあげたマニュアルが”分かり辛い”なんて心外だろう。
「一体どこが分かり辛いのか? そもそもちゃんと全部読んだ上で言っているのか?」
逆にそう聞きたい気分だっただろう。
夏目漱石についての少女の意見
それはつまり、こういうことだ。
一人の女子高生が次のような意見をネットの掲示板に投稿する。
「夏目漱石の小説って難しくて何がいいのかよく分からない」
すると次のような”夏目漱石の作品の良さを分かっている、自称知識人達”の意見でその掲示板の返信欄が埋まるのである。
「夏目漱石の小説の良さが分からないとは何と可愛そうな人だろうか」
「あなたには知識が足りないから夏目漱石の作品の良さが分からない」
「もっと自分を磨いて、夏目漱石の小説の素晴らしさを理解できる人間になりなさい」
彼らは「夏目漱石の本は難しくて良さが分からない」という、普段から小説にあまり縁の無い、ごく普通の一般人なら至極当然の意見に対し、何ら有効なアドバイスを贈ることもせず、それどころかやたら上から目線で、「夏目漱石が難しいと感じるのはお前に問題があるからだ」と詰るのである。
これでは日本の文芸界が衰退していくのも当然だ。
最後に、言いたいこと
最近になってパソコンや家電用のマニュアル制作を外注する企業が増えている。
これは当然の動きだろう。
人間、それぞれに得手、不得手がある。
そもそも商品の開発を手掛けるようなエンジニア系の才能に秀でた人間に、ズブのド素人にでも理解できるような分かりやすいマニュアルなど書けるわけがないのだ。
なぜなら製品の作り手はその製品についての”全てを知っている”
それに対して商品を実際に購入して使う立場である人間は、その商品については基本的に”何も知らない”
このギャップを埋めるのは本当に大変だ。
だったら、最初から分かりやすいマニュアルを書くプロに頼んだ方がいいに決まってる。
ある調査によると、日本人の7割はマニュアルを読まないらしい。
マニュアルだけじゃない。Web上の文章ですらそうだ。
多くの人はGoogleで検索して、Webサイトに辿り着いて、そして、
さっと目を通して居なくなるだけ
「マニュアルを読まないなんてあり得ない」
「ちゃんと文章読まない奴なんてバカ」
そんな事言ってたって仕方ないでしょう。そういう時代なんだから。
いつまでも「夏目漱石の良さが分からない奴なんてバカ」とか言ってる小説ファンと一緒。
読みにくいのだったら、どうやってそんな彼(彼女)らに書いた物を読んで貰うか、それについて真剣に考えればいいだけの事。
自分の文章を「読みにくい」って言われたら反省して直せばいいんですよ。
読んで貰えないと何も始まらないんだから。
少なくとも自分はいつもそう考えて文章を書いてる。