昔、よく人に「もう少しゆっくり話して」と言われた。
どうも私の話し方は一般の人間より速いらしい。
しかも、話す内容がストーリー性のあるものだと更にいけない。
クライマックスが近付くにつれ、話す速度も一気に増すのである。
なので私の話す話は、大体聞き手からしたら終盤何を言ってるのかよく分からず、ただ話してる自分だけが盛り上がって終わるという、最悪なものになってしまうのである。
プライベートな場ならまだいい。
「ああ、今日も上手く伝えられなかった。せっかく面白くて、上手く伝えることさえ出来たならみんなで最高に笑える話なのに」と後悔するだけで済む。
しかし仕事の場ではそうはいかない。
上手く相手に伝えることができなかったらいつまで経っても契約なんか貰えないし、それに下手をすれば相手を不快にさせ、怒らせ、やがてクレームに発展し会社に損失を与えかねない。
ゆっくり話せない。
知らない内に早口になる。
流暢に話せない。
棒読みになる。
機械的な話し方をしてしまう。
全ては人生にとってマイナスにしかならないのである。
だったら、直すしかない。
でもどうやって?
多くの人はこうアドバイスする。
「ゆっくり話すなんて簡単だろう。意識してゆっくり話すようにすればいいんだよ。いちいち考えたり悩んだりするような事か?」
恐らくその人はそんなくだらない事で悩んだことなど一度も無いのだろう。
そして、恐らくは知らないのだろう。
どんなに努力しても、知らない内についつい我を忘れて早口になってしまう人の気持ちなど。
巷でよく見かける、「早口の治し方」
ではゆっくり話すにはどうしたらいいのか。
簡単なこと。自分の感情をセーブし、常にゆっくり話すよう心がければいい。
もしそれができるなら、の話だが。
人にアドバイスをするのは本当に難しい。
つい早口になってしまうという人にアドバイスするのなら、最低限その人も同じ悩みを過去に抱えていないと到底無理なのだ。
あがり症の人に、過去の人生で一度もあがった経験のない人が、
「人前であがらない方法なんて簡単さ。人なんてじゃがいもか何かだと思えばいい。それだけさ」
なんていくらもっともらしくアドバイスしようと何の効果も無いのと同じだ。
大体、意識して努力さえすれば誰もが他人のことをじゃがいもか何かだと思えるのなら、人生苦労はしないだろう。
実際、巷で出回っている「早口の治し方」は、実は殆どの早口に悩んでいる人には何の効果も無い。
何故か。それは、この問題は多くの人が思っているよりも根が深い、深刻な問題だからである。
もしあなたがかつての私と同じように、知らない内に早口になってしまう悩みを抱えているのなら、あなたは今まで早口の治し方をインターネットで沢山検索したことだろう。
果たしてあなたの早口は本当に治ったのだろうか?
インターネットの情報の中に参考になる意見など本当にあったのだろうか?
成程、よくネットで見かける、イメージトレーニングをするという方法は確かに有効かも知れない。
つまり、早口にならずに流暢に、しかもゆっくりと抑揚を付けてしかも流暢に話している自分を想像する。
そうすることで早口が改善される。
素晴らしい。実に素晴らしい。
だが、こんな方法で長年悩み続けた早口が治ると本気で考えているとしたら、それはちょっと夢を見過ぎだと思う。
他にもこんな方法がよく聞かれる。
●舌や顔の筋肉を鍛える。
●腹筋を鍛え、腹式呼吸をマスターする。
●滑舌を良くする。
●緊張しない。
こう言っては申し訳ないが、こういうアドバイスをする人は、本当に早口で苦しんだり、悩んだりしたことがあるのだろうか?勘ぐってしまう。
滑舌を良くする
そもそも滑舌が良くないから早口になるのだろう。
滑舌の良くない人に、「滑舌を良くすれば早口は治るよ」というアドバイスが有効なアドバイスかどうか、少し考えれば分かる事だ。
緊張しない
成程、緊張しなければ確かに早口にはならないだろう。
だが、どうすれば緊張しなくなるのか。
自信を持つ
自分に自信を持つことは大切だ。
だが、自信の無い人に「自信を持てば全てが上手くいく」というアドバイスが有効なアドバイスかどうかは、少し考えれば誰でも分かる事だ。
そもそも、自信を持てば緊張しなくなって早口が改善されるのか、緊張しなくなれば早口がなくなって自分に自信が持てるようになるのか、その因果関係がよく分からない。
私が早口を完全に克服した理由
実は私は数年前に、とある方法によって早口を完全に克服した。
今日はその方法を話そうと思う。
願わくばこの記事が、かつての私のように早口に死ぬほど悩まされ、そして苦しみ、何とかしたいと真剣に考えている人に読まれて欲しいと願っている。
その方法とは、「憑依」である。
「は?」と思った人も多いだろう。
だが、勿論冗談で言っているのではない。
今から説明する、この、憑依という方法で私はこの問題を解決したのである。
では、憑依のやり方を説明しよう。
因みにこのやり方は、かつてどうしようもなく早口で何度も何度も上司やインストラクターに注意され、嫌味を言われ、仕事をクビになりかけ、何とかしようと先に上げたインターネット上の方法の殆どを試したが、結局改善されず途方に暮れ、それでも何とかしたくて必死になって辿り着いたやり方である。
何度も言うが、早口に苦しんだ事が無い人にはこの気持は決して分からない。
普通にゆっくりと話すという、当たり前の事ができない気持ちなど、恐らく現在話し方講座で教えている講師やアナウンサーに声の専門家、話し方のプロでも分からない人は大勢居るだろう。
そもそも、アナウンサーや講師などという職業に就く人間は、大抵は生まれつき自分に自信があるからそんな職業を目指すのであって、そんな人種が生まれつき滑舌が悪く自信も無い、無意識に早口になってしまい苦しんでいるような人の気持ちが本当に分かるとは自分には到底思えないのだが、これは私の偏見だろうか?
「憑依」の方法
憑依されるモデルを見つける
これは専門用語でモデリングと言われる方法である。
つまり、例えばあなたがもし車の運転が苦手で悩んでいるのなら、それを改善する一番の方法は、実際に車の運転が上手い人の隣に座って、車の運転が上手い人が普段どのようにして運転しているのかを見て、その人の真似をするようにすればいい。
但し描写は正確にやらなければいけない。
もしあなたが縦列駐車が苦手なら、その人が縦列駐車をする時にハンドルを何回切ったか、どこを見てバックしているのか、何メートル手前でバックを始めているのか、そういった事を細かく観察して、そして真似をすればいい。
これが車の運転を上達させる最も有効な方法だ。
もしあなたが営業でなかなか結果が出せないでいるのなら、実際に同じ職場で営業成績がズバ抜けていい人の後ろに付いて、その人がどのような方そしてその人が法でお客様に対応しているのかを覧て、その人の真似をするようにすればいい。
お客さんにネガティブな事を言われた時に、その人が何と言って切り返しているのかを書き留めておけばいい。
つまり、あなたが営業成績がズバ抜けているその人の完全なコピーとなれるよう、データを作り上げるのである。
同じように、もしあなたが早口で悩んでいるのなら、実際に早口にならずに、流暢に、しかも説得力のある話し方をしている人を見つけて、その人の正確な描写をして、そしてその人の話し方を細かく分析すればいい。
例えば私の場合、流暢でしかもゆっくり、説得力のある話し方をする人間のモデルとして、以下の三人を選定した。
●石破茂氏(自民党衆院議員)
●渡部陽一氏(戦場カメラマン)
●小藪千豊氏(芸人)
ではモデリングをしていく。
因みにモデリングはYouTubeで上記の三人が実際に話している所を確認できるので、それで行う。
有名人の場合YouTubeを使ってモデリングが出来るので大分楽だ。
もしこれが会社の職場の上司や同僚とかだった場合、このモデリングの手間がかかって大変だ。
こういう点からも、モデリングサンプルに有名人を選ぶのは非常に有効だ。
因みに石破茂氏の場合、とにかく話し方に特徴がある。言葉を選びながら、ゆっくりと、そして流暢に相手の目を見て話す。
だが注意して見ていると、ある事に気付く。
そう、石破氏はいつでもどんな時でもゆっくり話しているわけではないのだ。
時々えらく早口になるのに気付いただろうか。
つまり、石破氏は元々生まれつきこういう、ゆっくりとした話し方をしているわけではないという事が分かる。
恐らく、自分の言葉に説得力を持たせるため、或いは自分自身を落ち着かせるために、敢えてこういう話す速度を選択しているのだろう。
続いて戦場カメラマン、渡部陽一氏
彼は生まれつきああいうゆっくりな話し方だとの事だが、意識してゆっくり話すようになったきっかけは、戦場カメラマンとして外国を転々としていた時、相手になかなか言葉が伝わらず、単語単語の間を空けて、なるべくゆっくりと話すようにした結果が、ああいうゆっくりと、はっきりと話すスタイルを確立する結果となってしまったのだとの事だ。
その経緯を聞くと、成程と考えさせられる。
相手にきちんと自分の意思や意見を伝えるために、ああいう喋り方に行き着いたという事は、彼がそのために随分と自分なりに努力や工夫をしてきたのだという事なのだから。
因みにこういうモデリングをする時に、大した努力もせずにそれが出来ていた人を参考にするよりは、努力してそうなった人を参考にした方が効果は大きいと個人的に思っている。
かつて最下位常連だったヤクルトスワローズを、常に優勝争いが出来る常勝チームにまで育て上げた野村克也氏もこう言っている。
「王や長嶋のような生まれつきズバ抜けた才能があった人を参考にしても一流選手にはなれない。(自分のように)まるでダメだった人が一流まで上り詰めたような選手を参考にしないと、得る物は少ない」
だからこそ、モデリングをする時は、モデルとなるその人がかつてはどうだったのかも想像したり、調べたりするのも重要だ。
最後は小籔千豊氏
正直小籔氏の話し方はゆっくりではない。寧ろ速い部類だろう。
だが、彼の話し方には参考にすべき点が多い。
私は彼の話し方が大好きだ。
「松本人志のすべらない話」という番組でのこの小籔氏の話を私は昔よく録音しスマートフォンに入れて毎日聞きながら出社した。
具体的に言うと、
1.描写力がすごい
「◯◯商店という店で」「◯月◯日の吉日の日に」「まっすぐ行った奥の右側に」といった具合に、一見言わなくても良さそうな細かい所までしっかり話の中に入れてくる。
そのお陰で話の信ぴょう性も上がるし、臨場感も伝わってくる。
2.話の中に自分の視点を入れてくる
カメラで写真を撮る時、多くの一般人の撮った写真がプロが撮った写真と比べて平凡で退屈に見えるのは、視点が平凡だからだそうだ。
つまり、ある面白い出来事に遭遇したとしよう。
その出来事を二人の人物が同時に一部始終見ていたとしても、後でその出来事を語らせたら二人の話す話の内容は恐らくかなり違うだろう。
一人の話はちょっと要領を得ず、何が面白いのか良くわからないが、もう一人に同じシーンを語らせると「ああ、そういう事ね!」とみんなから笑いが溢れる、これはよくある事。
同じシーンをリアルタイムで同じ位置から見ていたとしても、話の内容がそれぞれ同じとは限らない。これは視点が違うからだろう。
因みに最後の小籔氏はこれから話す、ゆっくりと話す際の「憑依」の対象にはしていない。
あくまで話し方が参考になるという事でモデリングしただけだ。
憑依の真髄
ではいよいよ憑依について話していこう。
まず、「憑依」とは直訳すると、霊などがその人に乗り移り、その人の身体のコントロールを乗っ取るような事を言う。
勿論、霊媒師にでも頼んで彼らの霊が自分の身体に乗り移るよう祈祷して貰うとかそういう事をするわけではない。
それ以前に三人ともまだ生きてるって話だが。
私が言う憑依とは、その人に完全になり切る、という事である。
それはモノマネに近いのかも知れない。
昔、とある有名な芸人がテレビでこんな事を言っていた。
まだ彼が今のように売れる前の下積み時代の話だ。
当時彼はテレビで面白い事がなかなかできず、どうすればもっと面白い事ができるのかについて悩んでいた。
するとある時彼の先輩がこんな助言をしてくれた。
「面白い事を無理にテレビでやろうとしても、どうしても気恥ずかしさや自分の素の部分が出てしまい、なかなか上手くはいかないだろう。いっそ誰かのモノマネをしていると思って芸をやってみたらどうか? どんなにバカな事をやってもそれはモノマネの芸の一部であって、本来の自分ではないのだから、色々な物が吹っ切れるんじゃないか?」
それを聞いて氏は実践してみた所、随分と吹っ切れて以前より大胆に芸が出せるようになったいう。
私はこの話を聞いて思わず唸った。
そしてこの話は私にとって自分を変える物凄い転機となったのだ。
自分じゃないと思えばいい。
私が今している事は、自分じゃない誰かがやっているんだと。
それはつまり、憑依の事ではないか。
人前や、お客さんの前に立つと緊張するのはそれが本来の、弱くてヘタレで小心者でグズの自分だから。
だがそんなしょうもない自分でも捨てるわけにはいかない。
だが、憑依の技術を使えば自分ではなくなる。例え一時的にだろうと。
それが結果的に仕事やプライベートでの成功に繋がるのなら、それでいいのではないか。寧ろそれでいくべきではないのかと。
私が実際に憑依に選んだのは、渡部陽一氏。
彼の話し方はあまりに特徴的で、真似がしやすいというのがその理由だった。
真似がしやすいという事は、憑依を行う上で非常に重要だ。
例えば、羽鳥慎一氏は優秀で流暢な話し方をするキャスターだが、彼の真似をしろと言われてもそれは難しい。
例えみっちりモデリングをして予習したとしても。
特徴があるという事はそれだけで人間として重要な事。
実際に実践したからこそ言えるが、ゆっくりと話すという事を実践する上で、渡部陽一氏以上にモデリング、憑依しやすい人物などいるだろうか。
恐らくはいないと思う。
だから、彼をモデリングし、そして憑依してしまえばいい。
勿論、他にあなたがベストと思えるモデルがいるのなら、その人でやるといい。
但し、特徴だけはしっかりしている人を選ぶことを忘れてはいけない。
恐らくはモデリング期間を含めても一週間もあれば作業は完了するだろう。
そしてあなたの早口はこれで完全に治っている事だろう。
もしこの方法を使ってもどうしても上手くいかない場合は、多分モデリングというより、憑依が上手くいっていないためだろう。
憑依は言うまでもなくただのモノマネとは違う。
その人になりきる事だ。
渡部陽一氏ならこんな時どう答えるのか、こんな時ならどうか。
彼の話している画像をYouTubeでじっくり見て、その答えを出せるようにまでなるといい。
最後に
「憑依」という言葉を使うきっかけについても話しておきたい。
この言葉を使うようになったきっかけは、作家、小林恭二氏の「短編小説」の中の「シクラメンの陶酔」という作品に影響を受けたからだ。
この小説の中でシクラメン教授は、人の人格を変える「憑依」の価値についてひたすら力説する。
ただそれだけの話なのだが、これがもう、抜群に面白く、しかも説得力がある。
これがフィクションだと知りながら私はこの話が頭から離れなくなった。
この「短編小説」という本は今では絶版になり、最近ではAmazon等でも殆ど見かけなくなったが、もし図書館や古本屋などで見かけたら是非とも手にとって一度読んで欲しい。
それくらいお勧めしたい本だ。
最後に、「シクラメンの陶酔」の中で教授が力説した、あるセリフを紹介して今日のブログを締めくくりたい。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
仮に、あくまで仮にです。
憑依によって「本来の自分」が失われたとしましょう。
そうだとして、失われた「本来の自分」はそんなに価値のあるものでしょうか?
いつも人に嫌われやしないか、弱いと思われてやしないか、ナメられてやしないか、貧乏くじを引かされてやしないか、その他あれこれ思い悩んでいる「本来の自分」がそんなに価値のあるものでしょうか?
虚心になってください。
あなたは自分の人格に満足していますか?
本当はもっと勇気にあふれ、ものに動じない人格を欲しているのではありませんか?
さあ、どうです。
そうでしょう。小林恭二「短編小説」(シクラメンの陶酔)より