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供の頃の事を少し書こうと思う。

日本という国が嫌いだった。

 

外国にあこがれていた。

それも、白人、西洋人の国に。

私がまだ子供だった頃、日本の全てが西洋に比べてダサく、格好悪く見えた。

それは政治にしてもそう。

人の生き方にしてもそう。

街の建造物にしてもそう。

映画にしてもそう。

日本の邦画は洋画と比べてストーリー、セリフ、演出全てがダサく、洗練されておらず、そして見苦しい。

 

どうしてこうも日本という国は西洋に比べて何から何までダサいのか。

どうしてこうも日本という国は、外国に比べて洗練されていないのか。

 

いつもそう思って生きていた。

折しも私が子供の頃の時代は、バブル真っ盛りであった。

有り余る金で外国の資産を買い漁るみっともない日本人。

ロッキード事件にリクルート事件。

チビで、ハゲで、そのくせ金だけは持ってる日本人。

何でも金で解決しようとする浅ましい生き物。

そのくせ西洋の真似をしてオシャレぶる、どうしようもなくダサくみっともない生き物。

 

それが当時の私が抱く日本人の姿だったし、振り返っても当時の私の目に映っていた日本の姿が偽りだったとも思わない。

日本という国は当時の子供だった私にとって、憧れでも誇りでも何でもなかった。

ただの時代錯誤のダサい国。

それが当時の私の抱く日本に対する感想の全てだった。

勿論、今では全くそうは思わないが。

寧ろ逆の事を思っているわけだが。

 

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当時の私が夢にまで見て憧れたパソコン

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そんな当時の私にとって、憧れのマシンがあった。

AppleMacintoshだ。

当時、バイトをして手に入れた数十万もするNEC製のPC-9801EXが私にとっての唯一のパソコンだった時代においても、やはりMacは特別だった。

とにかく洗練されたその姿、ポーンというあの起動音、一つしかないマウスボタン。

どれもこれも日本人には到底考えつかないようなそのパソコンに対する考え方に惹かれたのだ。

 

「上手く言えないけど、このパソコンを手に入れたら、きっと自分の生き方や考え方は変わるんだろうな」

 

私は子供ながらにそんなことを考えたものだ。

だが、当時のMacは十代だった私が手に入れるには高価過ぎた。

どう見積もっても50万は最低必要だった。

そんなお金、とても出せるわけがない。

その数年後、20万程度で買える廉価版のMacintosh LCⅢが発売された時、思わず電気街で衝動買いしたのを今でも覚えている。

家に帰って箱を開け、Macを設置して起動した時のあの興奮は今でも覚えている。

と言っても、そのMacにはオフィスソフトもゲームソフトも何も入っていなかったので、起動したはいいものの何をしたらいいのか分からず、しかもインターネット環境すらなかったため、やっていた事はただ設定をいじくったり、メモ帳で文字を書いたりしていただけだったが。

それでも楽しくて、夢中でこのPCを毎日いじくっていたのを覚えている。

Macは特別。

そう、それは私だけでなく、当時多くの人がそう思っていた。

 

他のパソコンとは全く違う。特別なパソコンなんだと。

現実はいつも冷たく、素っ気ない

現在仕事場にあるパソコンは、なぜかMac。

数十台のMacが職場にズラーッと並んでいる。

あの頃から数十年の時が経った。

今や私もWindows歴20年以上の、バリバリのWindows使いである。

今更Macを使えと言われても困るが、まあ仕事上使わざるを得ないのだから仕方ない。

Macの前に座り、起動ボタンを押した。

ブワァーという起動音は僅かにだが当時を思い出させた。

だが感動は無い。

目の前にあるMacは、ただのオシャレな、いかにも女が好みそうな大衆に媚びたデザインのスタイリッシュなパソコンである。

しかも起動が遅い。

使い始めて早速イライラしてくる。

 

何だこの劣化版Windowsはと。

 

ジョブズはよく、WindowsをMacの真似、劣化版と評したが、今のこのMacの姿こそWindowsの劣化版、コピーそのものではないか。

使っているともう、様々な所で使い辛さを痛感する。

それは単に私がWindowsに慣れたからだけではない。

もうMacというパソコンが、ひいてはAppleという会社が終わったのだと感じざるを得ない。

では、どこが一体ダメなのか。

 

1.マウスボタンが3つある。

そもそもスティーブ・ジョブズがMacを開発した時の理念として、「マウスボタンは二つ以上あってはならない」という確固たる信念があった筈だ。

マウスボタンは一つでいい。二つ以上あるとユーザーは混乱する。

Macはひたすら直感的なパソコンであるべきだ。

この理念はどこへ行ってしまったのか?

Macを使っていると、普通に右クリックをしないと出来ない操作が幾つも存在する。

右クリックという発想はそもそもWindowsの発想ではないか。

はっきり言ってしまえばいい。

ジョブズの理念を受け継ぐMacなどもはや無いと。

全くもって、これだけ大衆に媚びたパソコンもないものだ。

 

2.サファリのデフォルト設定では、Webサイトのスクロールができない。

そもそも標準で上下にスクロールさせるバーが存在しない。

表示させるにはウィンドウサイズを大きくするか、設定から変えるしかない。

ウェブサイトを閲覧して画面を上下にスクロールするなんて普通の事ではないの?

なぜそれがいちいち設定をいじったり、ウィンドウサイズを変えないとできないのか。

これが直感的? 冗談も大概にしてくれ。

 

3.意味不明なマウスの中央ボタン

そもそもこのボタンは何なのか。

Windowsのホイールボタンの真似をしてみたが、真似だと言われたくないのでそれっぽくボタンにして、上辺の洗練さだけを強調してみました的なボタンなのだろうか。

全く無意味で押しづらい、しかもストローク感も甘い、スクロールにも使えるが使いづらいという最悪のボタン。

もう分かったよ。ジョブズが居ないともうこんなしょうもないパソコンしか創れない、それが今のAppleということなんだろう。

素直にマイクロソフトとWindowsPCに謝って、「ホイールボタンをMacでも採用させてください」と言えば楽になれるだろう。

 

4.日本語が究極に打ちづらい

そもそもこの標準搭載の日本語変換ソフト「ことえり」がもうバカ過ぎる。

マイクロソフトIMEの方がまだ幾分かマシだ。

もう、Appleという会社が日本の事を真剣に考えていないのがよく分かる。

最悪の変換効率、くだらない予測変換。

日本語の事を真剣に考える気がないのなら、日本市場でMacなんか売るなよと言いたい。

素直にアメリカだけで発売してろよと。

 

5.(無駄に)洗練されたデザイン

もはや現在Macを購入するメリットはこれだけだろう。

デザインが素敵。洗練されている。

それは認める。確かに洗練はされてるね。

光沢があり、丸みも帯びている。

だから? という感じだが。

こんなPCに憧れを感じるのはもはや女子や若者だけだろう。

何せ中身が全く伴っていないんだから。

そもそもWindowsモードとは何なのか。

Windowsモードが無いと売れないからでしょ。

今のMacはもう、そんな付加価値しかない。

 

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Appleの理念とは一体何だったのか

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Macが大好きだった。

いつも思ってた。

自分には縁のないパソコンと知りつつも、Macの理念にはいつも感動してたし、ジョブズのMacに対する想いも常に賛同していた。

だが、当然の事だがジョブズ亡き今、Macはもはや理念も使いやすさもひたすら我が道を行く愚直さも何も無くなってしまった。

あるのはデザイン性を高めて必要以上にブランド化し大衆に媚び、ひたすらに使いづらくなっていく肥大化したパソコンの姿だけ。

 

「ハングリーであれ、愚か者であれ」

 

スティーブ・ジョブズは2005年、スタンフォード大学の卒業式で生徒の前で演説した。

そしれその後、こうも続けた。

 

「私自身、いつもそうありたいと願っていました。これからも」

 

ジョブズの願ったこの想いは、残念ながら今のAppleには伝わらなかったらしい。

今のAppleに感じるのは、西洋人特有の合理化された思想と、商売の上手さだけ。

これじゃあコアなファンなんて付くわけがないよね。

批判し過ぎたので、ちょっとだけフォロー

けなしてばかりなのも何なんで、Appleの良い所もちょっと書いておこう。

本当はいい所なんて殆ど無いのだが。

まず、ホームページ。

当時、国内パソコンシェアナンバーワンだったNECとAppleのホームページを比較して見る。

 

まずNEC

http://jpn.nec.com/

もう、いかにも”終わったメーカー”だとため息をつかざるを得ない、実にしょーもないHP。

このホームページでNECは何を訪問者に伝えたいのかね。

そこをまず今一度考え直してみたらどうなのかと。

新卒の社会人や株主宛に何か書いてるページだな程度にしか感想が持てない。

こんな会社じゃそりゃあ凋落の一途を辿るわけだ。

 

次はApple

http://www.apple.com/jp/

こっちはNECに比べればまだ言いたい事が伝わってくる分、マシだろう。

”魔法のようなワイヤレス”みたいな胡散臭い言葉使いは良くも悪くもApple的だが(西洋人的と言うべきか)

少なくとも画面上部にあるボタンの中に、Appleという会社がHPを訪れた訪問者に提供できる全てがほぼ集約されている。

こういう所が出来ているのはさすがだなとは思う。

逆に日本企業は結局の所、欧米企業が当たり前に出来ている事が全く出来ていないんだなと改めて感じざるを得ない。

まあ無理か。日本の場合会社の上層部の頭が硬すぎて、革新的な事など何も出来やしないだろうから。

さよならMac

繰り返すが、Macが大好きだった。

だが、今は違う。

Macというパソコンに、他のパソコンには感じない夢や未来を感じた。

そんな頃もあったという、ただそれだけの話。

人は変わるものだし、時代もそれに準じるように変わっていく。

 

昔はいい時代だったんだなと思う。

きっと今の時代もいつかそう言われる日が来るのかも知れない。

大事なのは信念なのだな、とも思う。

大好きだった芸能人や政治家も、今では嫌い。よくあること。

ジョブズがあの時言ったように、いつまでも愚かでいたい。そう思ったりする。

好きの反対は無関心。

さよならMac。

多分、初めてMacを触ったあの嬉しさと感動だけは、これからもずっと思い出として私の中に残っていくのだろう。

そう思う。

 

 

追伸

何だかMacをけなしてWindowsを持ち上げてるように見えるかも知れないが、実際Windowsも最近は酷いもんだ。

特にWindows8や10はもはや「開発者はバカなのか?」と言いたくなるくらい使い辛く、目指す方向性も見失っているように思う。

マイコンピュータがどこにあるのかすら迷うようなOSに一体何の意味があるのか。

本当に欧米企業のやる事は全て同じ思考。

徹底的にナルシストで、「俺に付いて来い」スタンス。

AppleにしてもスタバにしてもMicrosoftにしてもだ。

こんな企業のサービスがこれからの日本にとって切っても切り離せないものになりつつあるというのが、何とも言えない物寂しさを感じてしまう。

 

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