「じゃあどこからの分を払えば納得してもらえるんですか?」

と私は訊いた。

「あなたが乗った所からです」

と駅員は言った。

「だから渋谷って言ってるでしょう」

と私は言った。

「でも料金は覚えていない」

「そんなの忘れちゃうんですよ」

と私は言った。

「あなただってマクドナルドのコーヒーの値段覚えてないでしょう?」

「マクドナルドのコーヒーなんて飲まない。あんなもの金の無駄ですよ」

と駅員は言った。

「例えばの話だよ」

と私は言った。

「そういう細かいことってすぐに忘れちゃうものなんだ」

ー村上春樹著「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」より

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慢するわけでも、自嘲するわけでもないが、人の話をすぐ忘れる。

別に人の話なんてどうでもいいと思ってるわけじゃない。

重要な部類の事でも他愛もないプライベートな事でも、気が付くと忘れている。

 

人と話をしていると時々、自分の意識が全てどこか遠くへ行ってしまったかのように、全く相手の話を聞いていない時間がある。

「成程」とか、「うんうん、分かる」なんてさももっともらしい相槌だけは欠かさず打ちながら。

決して相手の話なんか「どうでもいい」と思っているわけではないのに。

 

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それ、前にも言ったよね?

仕事でもプライベートでも、私が絶対に聞きたくない、大嫌いな言葉がある。

 

「それ、前にも言ったよね?」

 

という言葉だ。

もうすぐ新入社員の季節だ。

毎年この季節になると、至る所から先輩方のこの言葉が聞こえてくる。

 

「それ、前にも言ったよね?」

「前にも教えたと思うんだけど」

 

この言葉には何とも愛が無い。

人の冷たさしか感じない。

つまり、「それ、前にも言ったよね?」の言葉の裏には、

 

「メモを取れよ」

「何度も同じ事聞くなよ」

 

という、挑発的な意図がビシビシ伝わってくる。

前にも言ったから一体何だというのか。

 

そういうあなただって、飲み会で同じオチのとっておきの話を毎回毎回、さも初めて話すように切々とするじゃないか。

 

あれは一体わざとやっているのか?

それとも、あなたは誰に何の話をしたのか覚えられないおマヌケさんなのか。

そうじゃないでしょう。

 

あなたはその話をするのが好きだから、その話をしている自分が好きだから、だからついつい何度も同じ話をしてしまうんでしょう?

 

例え前に話した事があったとしても、もしかしたら相手は以前、ちゃんと聞いていなかったかも知れない。

それに、例え以前も話したとしても、今度は前とはちょっと違うニュアンスでこの話を伝えたい、そんな思いがあるからついついまた同じ話をしてしまうんでしょう?

同じような経験がある私にもそれがよく分かるから、私は例え相手が何度も同じ話をしてきても、「そうなんだ」「へえ、それはすごいね」と驚いたようにして毎回話を聞いてやるようにしている。

 

人は誰だってそうなのだ。

人は誰だって同じ話をついついしてしまうものだし、同じ事を何度も聞いてしまうものだ。

なのに多くの人はどうして、人のそんな根本的な原理、原則を無視して「それ、前にも言ったよね?」なんて冷たい言葉で無下に相手を否定しようとするのか。

 

そんなにあなたは忙しいのか。

そんなにあなたは新人の頃、物覚えが良く優秀だったのか。

そんなにあなたは何度も人に物を教えるのが嫌なのか。

そんなにもあなたは相手の覚える能力を疑いたいのか。

 

実に不可解だ。

 

 

「言いたい事は分かるよ。でも、プライベートならそれでもいいとして、仕事でそれはダメだろう。何度も何度も同じ事を聞いてきたら、誰だってそう言いたくなるさ」

 

 

あなたももしかしたらそう言うかも知れない。

だが私はその意見に対しても承服できない。

 

 

 

そもそも、相手が何度も同じ事を聞いてくるのは、自分の教え方に問題があるからだと何故思わないのか。そこが一番の問題だ。

 

 

多くの場合、人が何度も同じ質問をしてくるのは明確な理由がある。

決して、メモを取らないからとか、覚えが悪いとかそんな理由ではなく、もっと明確で、現実的な理由が。

 

それは、その人にとって、質問に対して得た回答が頭のなかで上手く消化できていないから。

 

私は仕事で同じ質問を何度もされたら、いつもそう思って教え方を変えてみる事にしている。

それでもまた聞いてきたら、今度はこうやって教えようと暇な時間に対策を練る。

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以前、携帯電話のデータをバックアップする時の容量について、持っていたSDカードを私に見せ、

 

「これで足りるの? 本当に?」

 

と何度も同じ質問をしてくる人がいた。

余程彼女にとって大事なデータだったのだろう。

そして、万が一バックアップが出来なかった事を考えると、不安で仕方なかったのだろう。

差し出されたSDカードの容量は8GBだった。

私は最初、

「全然大丈夫だよ。このカードの容量は8GBもある。君の携帯の全使用領域の数倍もあるんだから」

と答えた。

だが数日経ってまたその人が私に聞いてきた。

 

「ねえ、あれから随分と写真撮ったんだけど、まだ容量平気なぁ?」

 

私はこの人には8GBとか、そういう事を言ってもだめなんだと思った。

そこでこう言った。

 

「写真って何枚くらい撮ったの?」

 

「んー、3~40枚くらい?」

 

「じゃあ、少なくともあと1000枚くらい撮っても大丈夫だね」

 

『ああ、そういうこと』というような、納得した顔をして彼女は去っていった。

それっきり彼女がバックアップ容量について聞いてくる事は無くなった。

私の最初の教え方がそもそもまずかったのだ。

 

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「前にも言ったよね?」と言う人の特徴

「前にも言ったよね?」とすぐ言ってしまう人を見ていると、必ずと言っていい程、以下のような教え方をしている。

 

・毎回同じ教え方をする

・やり方のみを教え、何故そうする必要があるのかを教えない

・自分がそれを覚えた時の経験談を語らない

・イライラしながら早口で教える

 

これじゃあ新人はいつまで経っても覚えるわけがない。

そんな風に「それ、前にも言ったよね?」と皮肉ばかり言われていた新人も、半年もすれば仕事もほぼ完璧に覚えて、そんな同じ質問はしてこなくなる。

ようやくながら一人前になったわけだ。

 

だが、ちょっと考えて見て欲しい。

それは、あなたが教えたからその新人は仕事を完璧に覚えたんじゃない。

あなたが、「それ、前にも言ったよね? メモ取ってないの?」などと皮肉ばかり言うから、

 

あなたが居ない時に他の、あなたよりももっと分かりやすく親切に教えてくれる人を見つけて、その人に何度も何度も沢山質問をして何とか仕事をマスターしただけだ。

 

つまり、「それ、前にも言ったよね?」が口癖の人間は、会社では仕事は出来るが結局は誰も人を満足に育てられない、誰からも尊敬されない、言わば孤高のマスター人間だという事をもっと自覚して貰いたい。

 

そして、多くの人は「それ、前にも言ったよね?」なんて言う人間なんて大嫌いだという事ももっと自覚して欲しい。

 

私は出来が悪い人間だから余計そう思うのかも知れないが、人は何度も何度も同じミスをしないと決して成長しない。

何度も何度も人に聞かないと、決して本当の意味で物事をマスターできない。

たまに職場で、パソコンの前で自分が書き留めたメモを眺めながら10分も20分も「どうするんだっけなぁ」なんて言いながら唸っている人を見るが、何という時間の無駄だろうかと思う。

熟達した先輩に聞けば30秒で片付く事じゃないか。

だが、その人がそうできないのは、「それ、前にも言ったよね?」のその言葉のせいである。

 

また「それ、前にも言ったよね?」言われる。

バカにされる。

出来の悪い人間だと思われる。

また嫌な思いをする。

 

そんな思いがあるから、聞きたくても聞けないのである。

結果、自分の書いたメモ帳と延々とにらめっこ。

この時間は一体何だ。

一体誰得なんだろうか。

一体誰にとってプラスなのか。

いつか、「ああ、あの新人の頃、誰にも聞けずに一人でウンウン唸って、どこに何が書いてるのかも分からない汚い字のメモ帳とにらめっこしてたっけなあ」などと美談のように語るのだろうか。

そんなわけがある筈がないでしょう。

せいぜい、その人がやがてベテランになって、また新人が入って来た時に、

「それ、前にも言ったよね?」と冷たく言ってしまう、嫌な先輩のコピー人間に育つだけだ。

実に非生産的で無駄な生き方だ。

だが、こんな事はどこの業界でも日常茶飯事である。

 

”教える”という能力

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会社で評価されるのは「仕事の出来る人間」

もしくは、「仕事の早い人間」

人にいかに分かりやすく物を教える事ができるかどうかを評価してくれる会社は少ない。

と言うか、そんな会社はほぼ無い。

 

人に物を教えるという能力が、いかに一般社会で軽んじられているかの証左だろう。

 

そして凡そ一般的な会社で働いている殆どの人間に、人に物を分かりやすく教える能力など無い。

 

何故ならこの、人に物を分かりやすく教える能力とは、鍛えるべき能力だから。

だからこそ、価値があるんじゃないか。

だからこそ、「それ、前にも言ったよね?」なんて言う人ばかりの職場で、優しく、分かりやすく、筋道立てて丁寧に教えてくれる人に出会えた時、あんなに嬉しいんじゃないか。

人に物を分かりやすく教える力は、決して容易くは身に付かない。

あの池上彰さんですら、人に分かりやすく物事を教えるために、これまでにどれだけ努力して工夫してきたかを見れば分かる事だ。

日頃から自分の教え方を正しいと信じて疑わない人間では、その能力は鍛えられない。当然の事だろう。

 

 

「それ、前にも言ったよね?」と言う前に、人に何度も同じ質問をされない教え方について、もっと深く考えてみてはどうだろうか。

 

少なくとも私はその事について、いつも考えて生きている。