決して自慢するわけではないが、私はどちらかというと義理堅い人間である。
なので、人から受けた恩は基本的に忘れない。
それが例え返報性のルールという、人間としての本能から来るものだったとしてもだ。
返報性のルールとは、アメリカの心理学者、ロバート・チャルディーニが提唱した、以下のような人間の本能の事である。
他人がこちらに何らかの恩恵を施したら、自分は似たような形でそのお返しをしなくてはならない。
-ロバート・チャルディーニ「影響力の武器」 誠信書房 より
因みに私の場合、このような返報性のルールが働くのはほぼ同性である男性に対してのみである。
と言うのは私はどういうわけか女性に親切にされた事が人生においてほぼ無いので。
なので私が誰かに贈るプレゼントで悩むのは決まっていつも男性に対してだ。
女性に贈るプレゼントで悩んだことはほとんど無い。
別に世の中の女性が不親切だと言いたいわけではない。
ただ、私のような変わり者に親切にしてくれるのは、往々にして男性が多いというだけのことだろう。多分。
お世話になった人へ贈り物
どうやら今年もその時が来たようだ。
お世話になった男性にプレゼント。
凡そ普通に仕事をしている世の中の男性なら、一度や二度はこのような事で悩んだ経験がある事だろう。
果たしてあなたは何を贈るのか。何を贈るつもりなのか。
その話をする前に、まずあなたが今までに誰かに贈ったプレゼントについて少し自問してみよう。
あなたが今までお世話になった人に贈った物
そのプレゼントを選ぶのにあなたが費やした予算と時間
なぜあなたはその人にプレゼントをしたいと思ったのか
そして一番重要なのは、これ。
あなたが贈ったプレゼント、果たしてその人は今も使ってくれているだろうか
さあ、どうだろうか。
これを読めばあなたが今までいかに適当に、深く考えもせずに相手への贈り物を選んでいたのかが分かるはずだ。
しかしそうであったとしても別にあなたは過去を反省して深く気に病む必要などない。
多くの場合、多くの人は決まって深く考えもせず相手への贈り物を決めてしまうものなのだ。
その点についてロバート・チャルディーニも以下のように言っている。
ほとんどの場合、返報性のルールに従わない人は本当に人びとから嫌われます。
「たかり屋」とか「恩知らず」というレッテルを貼られるのは慎重に避けなければいけません。
-ロバート・チャルディーニ「影響力の武器」 誠信書房 より
そう、多くの人が行う「お世話になった人へのプレゼント」という行動には、別にそんな深い人間らしさや感情といったものは無いのだ。
あるのはただ、「自分は恩知らずな人間などではないという証明をしたい」その気持ちだけ。
勿論、こんな事を書いている私も例外ではない。それは充分認めている。
人が日頃お世話になった人に贈り物をしたいと思うのは、相手に対する恩義の気持ちというよりは、チャルディーニ氏の言うように、恩義を受けっぱなしでいる自分自身の何だかモヤモヤした気持ちを解消したいため。要は自己満足の行為に過ぎない。
だから別にあなたが深く考えずにボールペンやハンカチを選んで贈ったとしても、それは普通の事であり、
そして当然ながらそんな心の篭ってない贈り物は相手の心に何も響かないし、そして根本的にそんな贈り物はまず相手に使われない。
当然でしょう。だって今まであなたは「恩知らずな人間になりたくない」という、謂わば自分の気持ちだけを満足させるためだけに贈り物を選んで、そして渡してきたのだから。
それも実に適当に。
「あー、めんどくせえ」とか、
「ああ、もう時間無いよ。何でもいいから早く決めないと」とか、
「まあ、こんなもんでいいだろ。相手は爺さんだし」みたいに。
そんなあなたが贈った心の篭ってない贈り物など相手が気に入るわけがないでしょう。少し考えれば誰でも分かる、当たり前のことだ。
基本はリサーチ
ここまでで人間の醜い本性は分かった。
だが、それでも「私はお世話になったあの人に、本当に感謝している。本当に心の篭った贈り物をしたい」という人も当然ながらいるだろう。
では心が篭った贈り物をするためには一体何が必要なのか。
何を置いてもリサーチである。
心の篭った贈り物をする上でリサーチは基本中の基本だ。
だが勘違いしないで欲しいのは、この場合のリサーチとは、相手へのリサーチであり、決してソニプラやドン・キホーテ辺りをうろついて「何かいいプレゼント無いかなぁ」などと物色することではない。
プレゼント選びでどツボにハマるパターンとは、大抵が”誰に贈るか”ではなく、”何を贈るか”に焦点が当たってしまっているパターン。
相手をロクに調べもせずに、ただ、”何を贈るか”で悩んでいても、一生心の篭ったプレゼントなど贈れない。
別にリサーチと言っても特別な事をする必要はない。
一日中その人に張り付いて尾行する必要も無い。当たり前だが。
ただ、思い出せばいい。
あなたとその人が今までにした会話。
趣味は何だったか。
連休中どこかへ行ったと言ってなかったか。
実家はどこだったか。
仕事はデスクワークが多いか、それとも外出が多いか。
パソコンは得意か。それともペンで紙に何かをすぐ書いてしまう方か。
休憩時間に飲んでいるものは何か。
分かる範囲でいい。わざわざ直前でリサーチする必要など一切無い。
あくまであなたが今まで経験した物の対価としての贈り物なのだから。
さて、リサーチをする上で一つだけやってはいけない事がある。
それは、その贈り物をしたい相手の趣味や嗜好をよく知らないからと言って、その人と普段から親交のある人に聞く、というやり方だ。
これは絶対にしてはいけない。
なぜなら、もし相手がそれを知った時、あなたの事を果たしてどう思うだろうか?
「小賢しい奴だ」と思わないだろうか?
そしてそんなやり方をして相手が欲しがるドンピシャのプレゼントを見つけられたとして、そのプレゼントに心は篭ってるだろうか?
私はそうは思わない。
贈り物とは基本的に悩むもの。悩んで、悩んで決めるもの。
アメリカ人ならそれでもいいかも知れないが、ここは”察する”文化の国、日本。
ならば贈り物を選ぶ時も日本流でいきたいものだ。
さて、その人の事をよくリサーチして贈る物の大体の目処が付いたら、今度はこの究極的質問をしてみよう。
その贈り物、既にその人が持っていたらどうする?
例えばあなたが悩んで悩んで悩んだ末に、財布を贈ろうと決めたとしよう。
だが当然の話だが、凡そ社会人なら財布くらい既に持っている。
そしてこれも当然の話だが、あなたは彼が今使っている財布に、彼自身どれ位の思い入れがあるのかを知らない。
単にその人の財布がボロボロだったのを見てしまったから、「さあ、これからはこれを使いなさい」的な贈り物が果たしてその人の事を真に考えた適切な贈り物と果たして言えるのか。
ここが贈り物をする上で一番悩ましい所。
例えボロボロのポール・スミスの財布でもその人にとっては掛け替えの無い、替える気などサラサラない大事な思い入れのある財布だった場合、せっかくあなたが悩んだ末に贈った財布は永遠に押入れの中に眠るだけだ。
これは財布に限らず、腕時計、ボールペン、パスケース等殆どのアイテムに当てはまる問題だ。
ではどうしたらいいか。
敢えて二番手を行く、というプレゼント方法をお勧めしたい。
敢えて二番手を行くという考え方
「二番じゃダメなんですか?」の一言で蓮舫議員は日本中からの大ブーイングを食らったが、プレゼント選びにおいて、この二番手を行くという発想は非常に重要となる。
まず腕時計で見てみよう
日頃からオメガやタグ・ホイヤーといった高級腕時計を身に着けている人に安物の数千円の時計を贈った所で、まず使われない。
何故か。
彼らは腕時計にそれなりのこだわりを持っているからだ。
だが一方でACミランの本田圭佑氏のように、プライベートでは腕時計は2本以上身に付けるという人もいる。
その理由がただのファッション性だとしたら別だが、彼の言うように「どっちかの時計が遅れる可能性を考慮して」だったとしたらあなたの数千円の腕時計の贈り物が付け入る隙は充分ある。
そう、完璧な二番手の腕時計を贈ればいい。
カシオのド定番モデル、EF-109D-8AJである。
凡そ高級時計を愛する腕時計マニアにも、この時計の評価はすこぶる高い。
特徴を挙げると、
・誤差が少ない
・電池が約10年持つ
・価格が安い
・それでいて見た目が安っぽくない
まさに二番手腕時計に相応しい名機と言えよう。
腕時計を贈り物に選ぶというのは結構なリスクではあるが、こういう物を敢えて贈ってみるというのも面白いかも知れない。
次に財布
前述したように財布は贈り物としてはかなりの高難易度アイテムだ。
その理由の殆どは、せっかく贈っても好みや思い入れの問題で使われないというもの。
高い財布ならいいかというと、そういう問題でもない。
例えグッチだろうとブルガリだろうと、自分の好みや感性に合わなければただの重たい長財布だ。
そんな中で敢えて財布を贈り物にチョイスする場合は、発想の転換が必要だ。
そう、二番手の発想である。
海外では財布よりマネークリップを愛用する人が多い。
その主な理由はかさらばらないため管理もしやすく、かつ盗難に遭いにくいというもの。
日本の昼休みのOLよろしく、無用にデカい財布を抱えて歩いたりしようものならあっという間にスリ、盗難に遭う。
そんな海外へよく旅行へ行く人ならマネークリップは重要アイテムだろう。
もし贈り物をしたい相手が海外へ旅行へも行くような人だったら、贈り物として選択してみる価値はあるかも知れない。
用途はあくまで二番手の財布としてだ。
最後に鞄
鞄こそ社会人にとって必須のアイテムであり、贈り物には相応しくないアイテムの代表だ。
だがそこは敢えて二番手という発想で見ると、意外な程喜ばれるアイテムへと変化する。
それが、このエコバッグ。
エコバッグなんぞサラリーマンの持つものじゃないと思うかも知れないが、このエコバッグは随所に素晴らしい仕事をしてくれる。
1.折りたためばハンカチと大差無いくらいコンパクトになる。
2.そのくせ広げれば物は充分過ぎる程入る。
3.肩に掛けて歩けるので、持ち歩きも非常に楽
とまあ、良いことずくめのアイテムだ。
実際、私もエコバッグは実によく多用する。
例えば宅急便を郵便局やコンビニまで持って行く際、行きはエコバッグに入れて持っていき、荷物を出し終わった帰りは折りたたんでポケットに入れて手ぶらで次の用事のある場所まで行く、なんて事ができるのもエコバッグならではの利点だ。
言ってみれば、バッグ イン バッグ。車のトランクに折りたたみスクーターが入ってるというあのホンダシティ的な発想。
こういう便利なアイテムが、ちょっと普段店では買えないような柄とメーカーのもので貰えたらどうだろうか。
以上、敢えて定番の二番手を行く贈り物の例を挙げた。
この”二番手の発想”ができるようになると、贈り物のレパートリーが一気に広がる。
参考にできるものがあれば是非参考にして頂きたい。
但し、あくまで前述したリサーチを時間をかけて行った上でやってみて欲しい。
私が薦める、とっておきの贈り物
もしあなたが相手に贈るプレゼントを、本当に悩んで、悩んで、悩み抜いても、それでも決まらなかった場合、一つだけ私から百パーセント相手に喜ばれるお勧めのプレゼントがある。
ただし、これはあくまで最後の手段として欲しい。
それは、現金である。
「は?」と眉間にシワを寄せる前に落ち着いて続きを読んで欲しい。
現金と言っても勿論千円札をのし袋に入れて渡すとか、そういう事を言っているわけではない。
あくまで趣旨は「贈り物」なわけだから。
Suica(西日本地方ならICOCA)を使うのだ。
そう、あの駅で使うSuicaである。
この、現代人なら誰でもほぼ存在を知っているSuicaを1枚購入し、そこに渡したい金額をチャージすればいい。
勿論、Suicaは購入時に登録が必要なので、渡す相手の名前と、もし分かれば連絡先等も登録しておく。
後はデポジット(預り金)500円+渡したい金額(3000円なら2500円分)をチャージして相手に贈ればいい。
それらしい紙袋に入れて渡すと尚良い。
もし相手が転勤で居なくなる人なら、
「これから長旅になりますね。途中、これで弁当でも食ってくださいよ」
まるで軽口でも叩くようにそう言って渡す。
くれぐれも「弁当でも食ってください」であり、決して「いい弁当を食ってください」などと言ってはいけない。
例えその贈るSuicaのチャージ金額が5000円とか結構な高額であったとしても。細かいことだがこういう所も大事。
こういう時はいかにも「ハナクソみたいな金額ですよ」的なニュアンスで言う方が、相手がチャージ金額を見た時の驚きも大きくなるし、何より相手の心にもずっと残る。
実に洒落てるじゃないか。
これが現金で渡してしまったらこうはいかない。
何か「これで弁当でも食って」とか言われても「上司か?お前は」とか貰った方も少しイラッとしてしまう所だ。
ただ、注意して欲しいのは、これはSuicaだからこうスマートにいくわけで、
これが例えばnanacoとかだったりすると相手はnanacoカードの存在を知らず、無用に混乱させる可能性がある。
言っておくが、「nanacoカードくらい、今時誰でも知ってるだろう」というのはあなたの勝手な思い込みだ。事実私はついこの間まで知らなかった。
何れにしても、贈り物で相手を混乱させるなど言語道断の所業と言えよう。
よってこのパターンの贈り物をするなら老若男女問わず認知度の高いSuica一択となる。そこだけはご注意を。
PASMO? ダメに決まってんでしょ。
最後に
私自身も、今までに人生で色んな人から「今までありがとう」や、「いつもありがとう」の贈り物を貰った。
実際、それが嬉しくなかったかと言われたら決してそんな事はないし、素直に嬉しかった。
いくらひねくれ者の私でもそれくらいの人としての心くらい持っている。
ただ、
「じゃあその貰ったプレゼント、今も使ってる?」
と聞かれたら、答えはNo。
どうして?
多分、要らない物だったから、じゃないのかなぁ。
或いは、好みが合わないとか、どうでもいい物だった、とか。まあ色々あると思う。
引っ越しの度に、押し入れの奥から懐かしい貰い物に出会う、なんて事もしょっちゅうだ。
何とも勿体無い話ではないか。
最後に、きっとこれからも私は色んな人にお世話になるだろうし、色んな人にお返しの贈り物なんかをするのだろうと思う。
そんな時に、ちゃんと自分の気持ちを伝えられる物、贈ってるかな。
ずっと長く使ってくれる物、贈ってるかな。
そう考えると、もっともっと贈り物については真剣に考えないとと、改めて思うのだ。
人生は一期一会。
人について、贈り物について考える時間はきっと無駄じゃないよね。
そんな事を考えながら。