蛍の声「お兄ちゃん」

蛍「お父さんが表で呼んでる」

純「―ハイ」

間。

五郎「一つききたい」

純「ハイ」

間。

五郎「あの子のズボンはどこにある」

純「川に捨てました」

五郎「―――」

純「正吉君が―――」

間。

五郎「じゃあパソコンの本を盗ったのは誰だ」

純「ア、イヤあれは盗ったンじゃなくて」

五郎「黙って持っていくのは盗ったということだ」

純「―――」

五郎「どっちがやった」

純「正吉君です」

間。

五郎「今どこにある」

純「今」

五郎「どっちが持ってる」

純「ア、イヤそれは、僕が今アレだけど、ただ盗ったのは」

五郎「どっちが持ってるかと父さんはきいてる」

純「―――僕が持ってます」

間。

五郎「いかだに乗ろうといったのはどっちだ」

純「ハイアノそれは正吉君が」

五郎「わかった」

純「―――」

五郎「みんな正吉だな」

純「―――」

五郎「悪いのはみんな正吉だな」

純「―――」

―倉本聰 著 「北の国から’84夏」 (理論社) より

 

知っている人間なら、この会話のやりとりを読むだけでピーンと来る。

そう、昭和の名作ドラマ、「北の国から」の中の一場面だ。

「北の国から」を”なんとなくしか知らない”人たちが思い浮かべるシーンは、

五郎がラーメン屋のお姉さんに、

 

「子供がまだ食ってる途中でしょうが!」

 

と怒鳴りつける、あのシーンだろうか。

 

実は、今回冒頭で引用した五郎と純のやりとりは、その有名なラーメン屋のシーンの直前のシーンである。

「北の国から」を知っているという人でも、案外このシーンは忘れてしまっていた人も多いのでは?

 

何かと「自分は悪くない」という空気を醸し出そうとする、都会っ子で小狡い純に対し、五郎はこの時ばかりは毅然とした威厳ある態度で問いかける。

 

 

全くの私見だけど、この「北の国から」で純の父親の五郎(田中邦衛)は、ちっともいい親父なんかじゃない。

色んな事に対する偏見が強いし、ボソボソ物言うし、自分勝手だし、すぐ酔っ払うし。

 

スポンサーリンク

 

おまけに五郎は正吉のことが嫌いだった。

居候させてもらっているのに、五郎に反抗的で、五郎の嫌いな花札遊びばかりしている、そんな正吉が五郎は嫌いだった。

だから余計に、

 

「みんな正吉だな」

 

「悪いのはみんな正吉だな」

 

の五郎の言葉は、とても、とても重い。

 

いつもそうやって自分だけ責任を逃れようと、自分だけ上手く生きようとする純に、「それで本当にいいんだな?」と。

子供だからって甘えるんじゃない。逃げるんじゃない。

確かにお父さんも正吉は嫌いだ。

自分の息子が「自分はやってない。正吉がやった」と言うのなら、

「ああ、やっぱりな。そうだよな。正吉は本当にダメで悪い奴だな。それに比べてうちの純は本当に正直でいい子なんだ」

そう言いたい。そう言いたいし、そう結論付けて我が子を無条件に愛したい。

今の時代の親なら、きっとそうするんだろうね。なんとなくだけど、きっと。

でも、それでいいのか?と。

本当にそれでいいのか?と。

この言葉は、本当に人生そのものなのかも知れない。

 

だけど不思議かな、あの頃の昭和の時代の親はそういう、今の時代の親のような自分の子供に盲目的な愛情を注ぐだけの判断は、誰一人しなかったように思う。

そう、誰一人。

その理由を上手くは言えないけど、多分、あの時代の親は、

自分の子供だからという、そんな理由で、そんなくだらない理由で自分の子供だけを可愛がり、特別扱いするような親としての生き方を、心のどこかで恥じていたからなんじゃないのかなって、思う。

 

なもんだからあの時代の子供は「本当に自分は親に愛されてるの?」と親によく不信感を抱いた。

親があまりにも自分を、我が子であるはずの自分を、他人の子供と比べて一切特別扱いしないから。

何だか腹が立つ。

親が正しいのは分かってるけど、腹が立つ。

自分の子供なんだから、例え嘘を言ってもたまには少しは信じろよ。信じるフリだけでもしろよと。

そんな、あの時代の子供のやるせない大人に対する思いを、気持ちのいい位に爽やかに表現した文章がある。

作家、原田宗典氏の、とある短編小説集の中での一場面だ。

人は、いつも、誰かに分かって欲しいと思ってる。

でも、決まって上手くいかないから。上手くいかないものだから。

 

ジンセイって辛いなあ。

 

自分ももういい歳になったけど、それでもそれは、今も昔も変わらずに、そう思う。

 

そうさ誰も分かっちゃいない。

オフクロも刑事も医者も、ぼくが盗んだバイクで事故を起こしたんだと思い込んでる。

そりゃあその通りさ。ぼくは自分が盗んだバイクで事故を起こした。

でも違うんだ。絶対に違う。

盗ったのはぼくだけど、取り返したのもぼくなんだ。

それをどうやって説明したらいいんだろう。

そう考えてる内に、何だか涙が出てきちゃったんだよ。

両手が動かないもんだから拭うこともできずに、ぼくはポロポロ泣いてしまった。

他の大人たちは分かってくれなくてもいい。

でも彼女にだけは、本当のことを話して分かってもらいたい。

分かってくれるだろうか。

許してくれるだろうか。

そんなふうに考えてたら急に、ジンセイって辛いなあって思えてきちゃったのさ。

―原田宗典 著 「黄色いドゥカと彼女の手」(角川文庫)内 「盗ったのは僕」 より

 

スポンサーリンク