突然ですが、あなたはもしかしたら最近、こんな悩みを抱えているかも知れません。
「最近、職場や社交の場で自分に話し掛けてくる人が少なくて寂しいなぁ」と。
そう、そしてそれは、由々しき事態です。
人間、他人から興味を持たれなくなったらお仕舞いです。それはあなたがイケメンだからとか美人だからといった事とは全く関係ありません。
寧ろあなたがどちらかと言えばイケメンや美人の部類に属するにも関わらず、殆ど毎日誰からも話しかけられない事の方がより深刻な問題と言えましょう。
「別に僕はそんなに話すの好きじゃないし。私は仕事は一人で黙々としたい派だし、酒も静かに飲みたい派だ」
などと強がってみても無駄です。
あなたのそんな言い訳じみた強がりなどどうでもいいし、大体そんな話をしたくて私は今日、こんな話をしているのではありません。
あなたが自分の事をどう評価しようと、あなたが日ごろから殆ど誰からも話しかけられない事とは何の関係もありません。
そして、あなたが職場や社交の場で殆ど誰からも話し掛けられないのは、それはあなたが話し掛ける価値のない、つまらない人間だと周囲から思われているからだ、という事です。
どうです? 否定できないでしょう?
そして、我が身を振り返ってみて、思い当たる所があるでしょう?
そして、あなたも決してこのままでいいなんて思っていないでしょう?
何とかしたいと思いつつも、こればっかりは性格的な問題だし、かと言って自分から「やあ、元気?」なんて話しかける気なんて更々ないし、今更どうにもならないと諦めていたでしょう?
素直でよろしい。
気軽に話し掛けられる人になる方法
では、そんなあなたのために、今日は周りの人間から気軽に声を掛けられる、言わば「気安い人」になるための方法を伝授しましょう。
かく言う私も昔は「ぶっきらぼう」「顔が怖い」「何考えてるのかわからない」「近寄りづらい」「話がつまらなそう「話し掛けたら殴られそう」などとまあ、好き勝手周りで言われたものです。
お陰で会社で私に話し掛けてくるのは、誰とでもすぐに仲良くなり、誰とでも飲みに行く、誰かと酒が飲めればそれでいいという、社交レベルMAXの、イニシャルで言うとYの彼のみという有様でした。
私は正直、彼に話し掛けられたり飲みに誘われたりするのがウザかった反面、心のどこかで「今日も話し掛けてくれたのは彼だけだったな…彼が居なかったら今日も私は誰とも口聞かずに帰るんだな…」などと、彼にこっそり心の中で感謝していたわけです。何とも情けない話です。
しかしそんな私も、ある一つの事を実践するだけで、誰からも気さくに話し掛けられる、一見「彼って社交的な人間なんじゃね?」的な人間になる事に成功したわけです。
無論、行きたくもない飲み会に無理に参加するとか、自分から勇気を出して話しかけるとか、そんな低レベルでくだらない方法などではありません。大体そんな方法はテクニックでもなんでもない、ただの力技です。力技で知恵の輪を外して何が楽しいのでしょうか。
そもそもそんな力技で一時的に社交的な人間の「フリ」をした所で何の意味もありません。
すぐに疲れて普段の自分に戻り、逆に慣れない事をしたストレスから余計心身を壊し、前よりも人間嫌いで非社交的な人間になるのがオチです。これも自分で散々経験してきたから言えるのです。
1.2倍返しの法則
かつてピーター・ドラッカーは言いました。
あなたが仕事で成功したいのなら、頼まれた仕事プラス自分なりの「何か」を追加する癖を付けなさい」と。
つまり、こうです。
上司「悪いけどこれのコピーを、10部ずつ取っておいてくれないかな?」
私「分かりました。はい、これがそのコピーです。コピー10部、それぞれすぐ配布できるようホッチキスで閉じておきました」
上司「ワォ」
上司「悪いけど、A社からの見積もりを取っておいてくれないか?」
私「分かりました。時間があったので、B社とC社の見積もりも念の為取っておきました。宜しければ活用ください」
上司「ワォ」
これです。
ただ与えられた仕事をこなすのではない。自分なりに考えた、+1の仕事を追加する。
いかにも「出来る社員」っぽい、いい感じです。
これをする事で、上司からの評価は確実に上がります。それだけではありません。そうする事であなたは、ただ与えられた仕事をこなすだけのつまらない人間から脱却できるというわけです。
私はこれを、勝手に1.2倍返しの法則と呼んでいます。
与えられた仕事を忠実にこなすのが1とした場合、頼まれていないけどちょっと自分なりに気を利かせて追加した業務が0.2。合わせて1.2です。
たったこれだけ。これだけであなたの評価は間違いなく変わるのです。試してみれば分かります。
ではこれを、仕事だけではなく人間関係に実践しない手はない。そう考えたのが始まりです。
因みに、この手法を実践する前までの私は、こんな感じでした。
職場の同僚「あら、髪切ったのね」
私「はい。切りました」
如何でしょうか。
この、つまらない会話を聞いてあなたは何を思うでしょうか。
因みに、以前の私がこんな感じでした。
髪を切った?と聞かれて。はい、切りました以外に答えようがないだろう。
そもそも、髪を切ったかどうかなんて見れば分かる事であって、それをいちいち「髪切ったの?」と聞いてくる意味が分からない。
せめて「髪切ったの?どこで切ったの?」とかなら分かるが、「髪切ったの?」という質問があるかバカタレ。そんな質問で会話が弾むわけがないでしょう。
つまらないだけでなく理屈っぽい。私に友達が少ない理由が、何となくでも分かる一シーンですね。
では、こんなどうしようもない私が、どこをどのように改善したか。
テイク2をご覧ください。
同僚「あら、髪切ったのね」
私「はい、昨日1000円カットで切りました。」
「はい? あまり変わってなくない?」ともしかしたらあなたは思ったかもしれませんが、それは浅はかというものです。
最初の会話と比べると、大きく変わっています。
人間の心理をよく考えてみてください。
人は、自分の想像通りの受け答えしかしない人に、何度も話し掛けたりはしないものです。
しかし、自分の想像を、例え少しでも超える受け答えをした人には、「また話し掛けてみようかな」という、無意識の感情が働くのです。
まだ意味がよく分からない?
では別の例を見てみましょう。
同僚「昨日は何時まで会社に残ってたの?」
私「8時半まで残ってました」
同僚「そう、結構かかったんだね」
では1.2倍返しの法則を取り入れた、テイク2を見てみましょう。
同僚「昨日は何時まで残ってたの?」
私「8時半です。…いや、8時45分…だったかな。結構かかってしまってね」
「いや、だからあまり変わってないんじゃ?」とあなたは未だ怪訝そうにしているかも知れません。
しかし実は、あなたが思っている以上にこの効果はこの後ジワジワとボディブローのように現れ始めます。
もちろん、「…いや、8時45分…だったかな。結構かかってしまってね」という言葉自体には深い意味はありませんし、ここから会話が広がりを見せていくとも客観的に見ても思えません。
ですが、「ある気持ち」だけは相手に確実伝わります。
それは、話し掛けられたあなたには「会話を続けたいという意思がある」という感情です。それだけは相手に確実に伝わります。
つまりはそれこそが、なぜか人がまたその人に話し掛けたくなる、その人自身が持っている「話しかけたくなる雰囲気」というものなのです。
ここでもう一度、話し掛ける側の気持ちになって考えてみてください。
人はなぜ大した用も無いのにその人についついいつも話し掛けるのでしょうか。
この後の私の文章を読む前に、是非自分で考えて、答えてみてください。
いかがでしたか?
あなたの答は何でしたか?
では、私の意見を言いましょう。
人はなぜ大した用も無いのにその人についついいつも話し掛けるのか。
それは、その人からの反応が今回もまた「自分の想像を少しだけ超えるものであろう」という期待からです。
いつも想像通りの反応しかしてくれない人には、誰も好き好んで話し掛けたりしないのです。
当たり前です。
「昨日は楽しかったね」と話し掛けて「はい、楽しかったです」としか返せない人に、誰が好き好んでまた話し掛けようと思いますか?
少し相手の側になって考えれば、誰でも分かる事です。
そして、これであなたが誰からも話し掛けられない理由が、ようやく分かった筈です。
そうです。あなたが職場や社交的集まりの場で、誰からも話し掛けられないのは、あなたが日頃から多くの人の予想通りの反応しかしないからです。それをみんな既に知っているからなのです。
なぜ1.2倍なのか
ここで最も重要な事を言います。
もしかしたらあなたはここまで読んで、
「よし、じゃあこれからは話し掛けられたら相手の予想を超えるリアクションをしよう。相手の想像を超える反応をしてみせよう」
などと考えたかも知れません。
意気込んで見せたかも知れません。
或いは、こうも思ったのではありませんか?
「1.2倍じゃなくて、1.5倍でもいいじゃないか。何なら、2倍でも。その方がもっと効果があるじゃないか。よし、明日からさっそく始めよう」
全然間違っているし、だからあなたは駄目なのです。人間がそんなに簡単に変わる事ができるのかどうか、それを一番よく知っているのは、これまで色んな自己啓発や改善に挑戦し、その度に上手くいかず挫折してきた、あなた自身ではないのですか?
なぜこの期に及んでまた同じ過ちを繰り返そうとするのですか?
無理をしたらあなたの心や身体に負荷がかかる。
負荷がかかった状態を続けると、あなた自身にストレスがかかる。
そして最終的に全てが無駄な努力になるだけではなく、あなた自身の心にも「またできなかった」という自己嫌悪、自己蔑視の概念が生まれる。
でも、1.2倍返しの法則なら別です。
「明日から自分から沢山の話題を相手に振り撒けるような社交的人間になれ」と言われても出来るわけがない。
でも、「明日から相手に話し掛けられた時の反応を、今までの1.2倍にしてみてください」は、誰でもやろうと思えばできるでしょう?
大事なのは、話し掛けられた際の返しに、何でもいいから何かを1つ追加するという行為です。
そのあなたの、紋切り型のいつもの返答に「何かを追加した」という行為が、相手に今までとは別の印象を残す。
それは、相手が次回に話し掛けるきっかけだったり、或いはあなたが会話を続けたがっているという、ちょっとした感情だったり。
そんな「ちょっとしたあなたの追加の行為」が、相手に伝わる。
「また話し掛けてみようかな」という気持ちを生み出す。
気が付けば、あなたが誰からも話し掛けられない日々は遠い昔の思い出となっているのです。
「馬鹿馬鹿しい」などとと疑わず、是非一度やってみてください。私の言っている事がウソやデマなどではないと分かる筈です。
最後に
人はなぜ、初対面の人に自分から声を掛ける事をためらうのでしょうか。
相手がどんな人なのか分からないから?
そうかも知れません。
実はその人が変な人で、話し掛けたのにいきなり不快感を顕にされたりして、結局勇気を持って話し掛けた自分が損をしただけという結果になるのが嫌だから?
そうかも知れません。
今の時代、社交的な人は減り、インドア派の内向的な人間が増えているそうです。
なぜでしょうか。
渋谷や新宿の街を歩くと、何百、何千という人に会えます。
でも、その多くの人は、あなたにとって何の関係もない、どうでもいい人たちです。
その、どうでもいい数百、数千という人の中で、あなたに話し掛けてくる人がいるとすれば、それはどんな人達でしょうか。
呼び込みやスカウト、セールス、勧誘、怪しげなアンケート、その他…
どいつもこいつも下心のある連中ばかり。誰一人、自分に興味を持ち、自分と友達になりたくて話し掛けてくる人などいません。そう、誰一人です。
それに気付き、人はやがて心を閉ざす。
もういっそ、誰も話し掛けて来なくていい。
誰も電話を掛けてこなくていい。
誰も部屋の呼び鈴を押さなくていい。
だから宅急便の再配達依頼も自然と増える。
今の時代、他人へ心を閉ざすのが寧ろ普通の事なのです。
悲しい? 寂しい? 全く、最近の日本人は…ですって?
いいえ、私はそうは思いません。
寧ろ、今までの日本が少しばかり無理をしてきたのではないでしょうか。
別に無理なんかしなくていい。
無理に友達を作ろうとしなくてもいい。
無理に飲み会やコミュニティの場に参加しなくてもいい。
それでも、人は一人で行きられるわけではない。
これからも誰かと関わって生きなければいけない。
そして、譬えこれからどんなに月日が流れても、誰からでも気軽に声を掛けられる人間でいる事は、決して無駄な事ではないですよね?
「最近、職場や社交の場で自分に話し掛けてくる人が少なくて寂しいなぁ」
そう思ったら、この1.2倍返しの法則、是非試してみてください。
決して頑張りすぎず、無理をせず、力を抜いて、自分なりの方法で今より社交的になれたら、それが一番ベストに決まっているのですから。
余談ですが、宅急便の配達員の方に言いたい。もし再配達という無駄な作業を減らして早く帰れるようにしたいのなら、配達に来た時ただチャイムだけを押すのではなく、一言「私は宅急便ですよ」と大きな声で表明すべきだ。でないと多くの人はあなた方を鬱陶しいセールス職員やNHKの集金と勘違いして居留守を使ってしまいますよと。
何をセールスマンのように律儀に呼び鈴だけ押して、出ないと不在票を置いて帰るという生産性の無い仕事をしているのかと。自分たちの残業に多さを、再配達希望する人の多さやAmazonのせいばかりにしてないで、少しは自分の頭で考えて改善していくという事をしてくださいよと。そうしたら宅配ボックスの普及以前に、再配達問題は一気に解決しますよと。