い物恐怖症なる言葉や病名が実際にあるのかどうかはさておき、私は買い物恐怖症である。

試しにGoogleで買い物恐怖症で検索してみたが、ほぼヒットしないので多分そんな言葉など無いのだろう。

だが、無いのであれば私が新たに命名すればいいだけの事。

とにかく最近、買い物をする気が起きない。仕事帰りにちょっとコンビニへ、そんな気すら起きない。それ以前に、店で買い物をする行為そのものがストレスで仕方ないのだ。

だからと言って別に消費税増税の話をしたいわけじゃない。いくらそれが時期的にタイムリーでベストな話題であっても、だ。それよりももっと根本的で切実な話だ。

買い物をすると嫌でもレジで店員とカネのやり取りをしなければいけない。

たったそれだけの事なのに、私はそれがストレスで仕方ないのだ。

 

誤解しないで聞いて欲しいのだが、私は店員に時給以上の過剰なサービスを期待するクレーマーでもなければ、いわゆるどの店でも「いい加減客の顔を覚えろ」的主張をする常連気質の人間でもない。

それどころか店員には自分の顔など全く覚えて欲しくないし、寧ろ毎回私の顔は忘れてくれと言いたいくらいだ。

たまに「いつもありがとうございます」と会計の時に私に店員が言ってくる店があるが、

そんな事をされると「なぜこの店員はたまにしか来ない私の顔をいちいち覚えているのか」と、逆に不安になってくる位だ。

このように、私がショップやレストランの店員に期待するサービスなどほぼ皆無であり、寧ろ私ほど店員に対し寛大な客などこの世に居ないのでは?と自分で思う程だ。

 

例えばレストランのランチで、今日の日替わり定食が「焼き魚定食」になっていたので店員に

「今日は何の魚ですか?」

と聞いたら驚いたような顔で私をしばらく見つめた後

「少々お待ち下さい!」

といって慌てて奥に駆け込んでいくような

「それを客に聞かれる事くらいなぜ店の開店前に想像できないのかこのバカちんが!」

と突っ込みたくなるようなダメダメ店員であったとしても別に私はそんな事で怒ったりしないし、挙げ句、

「多分白身魚です!」

とかとんでもない事言って来たりしても、

「この店はアホか!店長を呼べ!」

などと怒鳴った事もなければ思った事すらない。

今日の焼き魚定食の魚が何であろうとそんな事は時給1000円のバイトにとってはどうでもいい事であり、寧ろそのレストランの店長が朝のミーティングでそれくらいバイト店員に教えとけよと、店長に逆に腹が立つ位だ。

 

日本のショップやレストランの店員の9割は時給1000円程度のバイトなのだから、いちいちそのバイト店員に過剰なサービスを期待する方がどうかしている。私はそう思っている。

だからと言って別に世のショップのバイトをバカにしているわけでは決してない。要するに私が言いたいのは、その店員が貰っている給料以上のサービスなどこっちはこれっぽっちも期待していませんよ、という事。

そのバイトの時給が2000円貰っているというのなら話は別だが、そんな時給貰って働いているショップやレストラン店員などほとんどいないでしょう?

だったら普通の事だけやってりゃいいじゃないの。

バイトの身でシェフに

「今日の焼き魚は何の魚ですか?産地はどこですか?お客さんに聞かれるかもしれないんで」

とかいちいち聞く方がなんかウザいし、

そんな私は仕事ができますアピールを若い内からするやつはそれはそれで何か嫌だし、出世はするだろうけど何か嫌な大人になって将来佐川宣寿みたいに国会で総理夫人に忖度して国民の前で大嘘こくような恥知らずな真似をしそうで、寧ろそいつの将来を逆に心配してしまう。

だから別にショップやレストランの店員は過剰なサービスなんかしなくてもいいと思っているし、

逆に一部の店員がそういう事をすると「ああ、この店ではこういう過剰なサービスが当たり前なんだ」的に勘違いする客が増えて寧ろ店や他の店員にとって迷惑な事になりかねない。

リッツ・カールトンホテルみたいに徹底的なサービスが売りのホテルで働いているのでない限り、客のためにそんな過剰なサービスなどする必要がないし。寧ろするなと言いたい位だ。

 

そう、過剰なサービスなどしなくていい。

しかし、だ。

私はここで声を大にして言いたい。

確かに必要以上の過剰なサービスなど不要。だが、以下に挙げるたった2つ、そう、たった2つの、当たり前の事くらいは店員として、いや常識としてやるべきだろうと。

その当たり前の事とは、

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釣り銭をちゃんと渡せ!

何でこんな事をいちいち言わないと分からないのかという位に、最近の店員の釣り銭の渡し方は本当にイライラする。

釣り銭の渡し方とかバイトの研修の一番最初で習う事じゃないのか?

何でお前らはいつも釣り銭をデタラメに渡す?

何で研修で習ったであろう事をやめて、自己流で勝手な事をするんだ?

何でお前らは釣り銭を客の手に無造作に落とすんだ?

この間仕方なく入ったとあるコンビニのレジの若い女は私にお釣りを渡す際、小銭を自分の両手で作ったお椀の中心に置き、それを私の手の上に持ってくると、宇宙船の脱出ポッドよろしく、パカッと中央のハッチを開けて小銭を私の手のひらの上にボトボトと落としてきた。一体どこでそんなやり方を教わったのかともう呆れるしかなかった。勝手な事をやるんじゃない。

別に、下に手を添えて丁寧に渡せと言ってるわけじゃない。

最低限、ドスンと手に落とすような渡し方をするなと言っているだけだ。

そんな乱暴な渡し方だと、どのみち小銭が散らばる可能性が高いんだよ。現に何度も小銭がレジ前で散乱してこっちが拾う羽目になっているんだよ。

最悪な事になる可能性が高い事をなぜわざわざやるのか。

いや、それ以前に、客に対して、一人の人間である相手に対してそれが失礼な事だとは思わないのだろうか。私にはその神経が分からない。

客に丁寧に釣り銭を渡す。そんな当たり前の事すら最近の店員は全く、そう、全く出来ていない。

 

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「いらっしゃいませ」くらい言え!

確かにブティックなど、一部の店では敢えて店員から積極的に客に声掛けをしない、なんて店も最近は増えてきた。

だが、それと「いらっしゃいませ」を言わなくていいとは全く違うんだよ。

この、店員が「いらっしゃいませ」を言わない店、コンビニを始めとして本当に最近は多い。

そもそも、店員が客にいらっしゃいませを言わなくていい店ってどんな店なんだよと。そんな店があるのか?あるとしたらどんなポリシーで、何を目指して商売しているのか問い詰めたい。

店に入るなり「なんだコイツ、何しに来やがった?」的な目でいらっしゃいませも言わずにジロジロと客を怪訝そうに見たり、あるいは最初から客に対し店員がシカトを決め込むような店で買い物をしたいと思いますか?少し考えれば分かることでしょう。

私は「いらっしゃいませ」という言葉さえ店員から聞ければ、その店員がその後店員同士でいくら私語をしようが別に気にならない。

逆に、客に「いらっしゃいませ」も言わずに店員として給料を貰えると考えている所がすごいし、驚愕する。品出しとレジ対応と閉店後のレジ閉めだけしていれば商売が成り立つとでも思っているのだろうか?

 

結論、Amazonで買う

というわけで、決めました。

 

これからは「いらっしゃいませ」を言わない店では一切何も買いません。

 

全部Amazonで買うことにします。

何で金払って買い物するこっちがわざわざ不快な思いをしないといけないのか。

だったら最初からAmazonで買うよと。

安いし、翌日配送だし。

わざわざお釣りの渡し方も知らない、不快な店員のいる店で物を買う理由が一体どこにあるのかと。

まあAmazonで買ったとしても最終的に商品を運んでくる宅配業者の態度が悪くて結局不快な思いをするという事もたまにあるわけだが、それでも実際の店で不快な店員に遭遇する率に比べたらまだマシだ。

 

最後に

今年、消費税が10パーセントに上がった。

消費は冷え込み、人々の購買意欲は益々薄れ…なんてよくニュースで言うけど、私は本質は案外もっと違う所にあると考えている。

最近の消費の冷え込み、人が買い物をしなくなった本当の理由は、案外、

 

買い物しても気持ちよくなれないから、なんじゃないの?

 

街を見渡せば激安ショップが乱立。安く物が買えるのは家計は助かるし、それはそれで素晴らしい事だけど、安く物を売る代償は人件費の削減。

私は今日ここでバイト店員の批判ばかりしたが、果たして経営者はどうなのか。

バイトが「ここで働けて良かった」と心から思えるような店作りを本当にしているのか?

「二度とこんな所で働きたくない」というような店にしてはいないか。

店員が気持ち良く働けないなら、客を気持ちよくしたいなんて到底思えないだろう。

 

かく言う私も若い頃はショップ店員だった。

ショップ店員なんて常にテンションが低く、無愛想で理屈っぽい自分には向いていない、そんな事は分かっているし、分かってショプ店員として働こうと思った。

ただし、働くからにはショップ店員に求められる事は例え演技であろうともしようと思った。若いながらにだ。

イライラしていてもお客さんに声を掛けられたら愛想よくするとか、

品出し中でもお客さんが通ったら必ず「いらっしゃいませ」と言うとか、

お釣りは丁寧に渡すとか、

そんな事は誰に言われなくても自分で考えて当たり前のようにやっていた。

そんな私からお前ら客の気持ちのまるで分かっていないダメダメ店員に一つだけ、「これだけはやれ」というアドバイスをする。

出来ない事、あるいは品切れで在庫が無い事を客に伝える時、

 

最低限、申し訳無さそうな顔をしろ!

 

出来ない事は出来なくてもいいんだよ。在庫が無いものは無いで仕方ないんだから、別にそれはいいんだよ。

だが、最近の店員はそれをサラッと普通に言う。

 

「あ、無理っすねー」

 

「あ、在庫ないですー」

 

もう、これが本当に理解できん。

もっと感情込めて言う。たったそれだけでその店は今よりも感じのいい店に変わるというのに、なぜそれができないのか。

卑屈になれと言ってるんじゃない。

たった数秒だけ、客の気持ちと同化する。それだけの事だ。

クレームの大部分は、客と店員の温度差により起こる。電話などで起こるクレームの9割はこのパターンだ。

客が言いたい事、客が抱えている気持ちを対応者が全く理解せず、またしようともせずに結論だけ急いで終わらせようとする。

モンスタークレーマーがどうのと最近騒がれているが、私に言わせれば最低限の気配りもできない、接客を舐めてる店員の方が多過ぎる。

 

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冒頭の「買い物恐怖症」の話に戻るが、私はもう買い物をするのがストレスで仕方ない。

たまに帰り道で「あ、牛乳を切らしてたんだ」とか「ビールを買って帰ろうかな」などと頭を過ぎっても、

「どうせまたレジでアホな店員にイライラするし、やっぱりいいや」となる。

 

そうだ、Amazonで買えばいい。

 

ビールも牛乳も野菜も、みんなAmazonで買えれば一番いい。

いや、近い将来そんな生活習慣が本当に当たり前になるかも知れない。

もしそうなったとしたら、それはAmazonのせいでもなければ時代の流れとやらのせいでもない。

それが即ち、接客から気配りから、何から何まで劣化した日本という国の成れの果てというものなのかも知れない。

 

追伸

昨日、WordPressから「あなたに罵倒コメントが届いています」という通知を頂いた。

開くとなるほど、確かに私への罵倒コメントだ。なにしろ冒頭から「あなたを罵倒します」で始まる近年でも稀に見る分かりやすいクレームコメントだ。

その御仁はよほど私のブログを読んで不快になったらしい。文面から私への侮蔑と憎悪をひしひしと感じたのと当時に、見ず知らずの他人をここまで不快にさせる私のブログというのも、それはそれで恐ろしいものを感じずにはいられない。

その罵倒コメントを最後まで読むのも不毛な話なので、冒頭の方だけ読んであとは読まずにそのままゴミ箱に捨ててしまったが、おかげで「ああ、そういえば最近ブログ更新してないな」と思い直すいいきっかけになった。

そういう意味では少しだけ感謝している。ありがとう。

思った事をズケズケと誰にも配慮せずに書いているわけなので、批判や罵倒のコメントが来るのも当然とは思ってはいる。

ただ、以前「コメント返信について」の記事でも書いた通り、当面はコメントへの返信はしない事にしているのでそこはご了承頂きたい。

本当は返信や掲載したいコメントもたくさんあるし、基本コメントは全部目を通しているし、多くのコメントには本当に有り難く感謝して受け取っている。

 

今年も残り僅か。まあ私などに指摘されるまでもなく、どうせ後悔だらけの一年であったとは思うが、それでもこの時期になると誰しも一年を振り返らずには居られない。

何せ新年を迎えたら、人間嫌でも一旦は前向きにならざるを得ないのだから。

たからせめて今位は過去を振り返り、後悔やら懺悔やらして身を戒めるのもまた一興というものかも知れない。

忠臣蔵でも見ながら。

 

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